「ボタ山」の版間の差分
(→ボタ山・ズリ山を保存している自治体) |
(相違点なし)
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2013年12月23日 (月) 22:37時点における最新版
ボタ山(ボタやま)とは石炭や亜炭の採掘に伴い発生する捨石(ボタ)の集積場である。ぼた山と平仮名表記をすることもある。漢字では硬山と書く。ズリ山の一種で、主に石炭産業が栄えた北海道、常磐、九州北部等で見ることができる。過去の産業遺産ともいえる。
なお、日本の地すべり等防止法では「ぼた山」と表記され、「石炭又は亜炭に係る捨石が集積されてできた山であって、この法律の施行の際現に存するものをいい、鉱山保安法 及び経済産業省設置法の一部を改正する法律(平成十六年法律第九十四号)第一条の規定による改正前の鉱山保安法(昭和二十四年法律第七十号)第四条又は第二十六条の規定により鉱業権者又は鉱業権者とみなされる者がこの法律の施行の際必要な措置を講ずべきであったものを除く」と定義されている(地すべり等防止法2条2項)。
ズリ山とボタ山
鉱山で採掘された鉱石のうち、資源として使えず廃棄する岩石などの部分を捨石、俗称でズリという。このズリは特定の場所に集められて捨てられるが、長年にわたり捨て続けているうちにズリは積み上げられてゆき、やがて山ができてくる。こうしてできた山をズリ山という。
九州の炭坑では、このズリはボタと呼ばれ、ズリ山はボタ山と呼ばれた。したがって、ボタ山という言葉は、ズリ山のうち九州の炭鉱において発生したものに対して用いる言葉である。
以下では、石炭の採掘によって発生したボタ山・ズリ山に限定して記述する。
ボタ山崩壊事故
日本
- 1955年 佐世保炭鉱(佐世保市)にてボタ山が崩壊し炭鉱住宅が埋没する。死者68人の被害。(安倍鉱業ボタ山崩落事故)
- 1957年 長崎県北部地方を襲った集中豪雨により北松浦郡江迎町の江迎炭砿のボタ山が崩壊し、流出土砂が国鉄松浦線(現在の松浦鉄道西九州線)潜竜駅(現在の潜竜ヶ滝駅)及び周辺の商店街、国道を埋没させる騒ぎとなった。他の箇所でも負傷者2名が出ている。
- 1960年 1月7日、福岡県田川郡大任町の古河大峰炭鉱にあるボタ山が崩壊し7名が死亡。このボタ山は普段から自然発火が見られ、犠牲者の死因も火傷によるものが多かった。
中国
2008年9月8日、山西省臨汾市襄汾県の鉄鉱山でボタ山が崩壊。大量の土砂が土石流化して下流に流出し死亡254人、けが34人を出す被害となった。鉱山は、安全基準を満たしていないため閉鎖されていたが、違法操業が続けられていたという。
イギリス
1966年10月21日、グラモーガン近郊、アバーファンの炭鉱で、ボタ山が長雨により崩壊。付近の集落や小学校が土砂に飲み込まれて172名が死亡した。
法的な規制など
ボタ山・ズリ山は鉱山保安法においては捨石集積場と呼ばれる。捨石集積場の比高は数十mに及ぶことが多く(中には100mを超えるものもある)、安定性に欠け容易に崩壊しやすいのが特徴である。このため、鉱業権者は鉱山保安法、地すべり等防止法、森林法等の法令により維持管理が義務づけられるほか、捨石の採取、土地の改変等が厳しく規制される。
問題点
- 品質が低いとはいえ、捨石の中には石炭分が多く含まれることがあるために自然発火することがある。
- 子供などが興味本位で立ち入り、土砂崩れに巻き込まれるケースがある(古くて小規模のものは地元住民でも認知していないものがある)。
- ボタ山の材質は均一であることから、無断で採取し他の開発事業の埋立材料に用いられることがある。この場合、残ったボタ山の敷地(平坦なサラ地)は転売されるが、法規制は掛かったままであるために購入者は一切の開発ができないという詐欺に近い商法が存在する。
現状
廃棄物であるうえに上記のような問題点を抱えるボタ山は、炭鉱閉山後は自治体から「負の遺産」として位置づけられることが多く、また石炭産業に代わる産業として炭鉱跡地に工業団地を造成するなどの理由もあって、近年では急速に数が減ってきている。
しかしながら、日本の近代化を支えた石炭産業の象徴としてボタ山を恒久的に残し、維持管理していこうとする動きも出始めており、ボタ山が保存される例も見られるようになった。
また、依然として再利用の目処が立たず、放置されている例も少なくない。
ボタ山・ズリ山を保存している自治体
カッコ内は炭鉱名。