ハロウィン (バンド)

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ハロウィンHelloween、正しい発音はヘロウィン)は、1984年にドイツハンブルクで結成されたヘヴィメタルバンド。現在のメロディック・パワー・メタル(メロスピ)のサウンドとイメージを作り上げ、このジャンルの先駆者として知られる。バンド名は、当時メンバーだったインゴ・シュヴィヒテンバーグが映画『ハロウィン』からとったもの。スペルをHalloweenではなくHelloweenにしたのは、メタルっぽくHell(地獄)を入れようとベーシストのマーカス・グロスコフが提案したからという。

当初ボーカルはギタリストのカイ・ハンセンであったが、その後マイケル・キスクの加入により高い評価を得るようになる。その後、ハンセン、キスクと相次いで脱退、さらにメンバーチェンジを繰り返し現在に至る。

音楽的特徴・歴史

ボーカリスト別に大きく3期に分類出来る。

バンド創成期、カイ・ハンセンのボーカル時代

ハロウィンの前身は1978年にカイ・ハンセン(ボーカル・ギター)とピート・シールク(ギター)がハンブルクで結成したジェントリー(Gentry)というバンド。1981年にセカンド・ヘル(Second hell)へ改名し、インゴ・シュヴィヒテンバーグ(ドラム)・マーカス・グロスコフ(ベース)が加入したが、エンジニアになるためにシールクが脱退。今度はアイアン・フィスト(Iron Fist)に改名した。1982年、ギタリストのマイケル・ヴァイカートは自分のバンド、パワーフール(Powerfool)にハンセンを誘うが、結局ヴァイカートがアイアン・フィストへ加入した。

前述の経緯でHelloweenにバンド名が確定し、1984年にノイズ・レコードのコンピレーションアルバム『Death Metal』に『Oernst Of Life』・『Metal Invaders』の2曲で参加。このアルバムには、同じハンブルクのバンドで、当時ハロウィンよりビッグと見なされていた[1]ランニング・ワイルドも参加していた。同年、ノイズ・レコードと正式に契約。

1985年2月、ミニ・アルバム『Helloween』でデビュー。ランニング・ワイルド等の地元バンドとの競争が激しかったハンブルクに、バンドの存在を知らしめた。同年12月に発売された初のフルレンス・アルバム、『Walls Of Jericho』は、ドイツ国内での総売上は約11万枚を超え、スコーピオンズと並ぶヒットとなった[1]。国内のみならず海外の各音楽雑誌等にも取り上げられ、スピード・メタルとして高い評価を得る。だが、ヴァイカートはメロディアスさに欠けるスピード・メタルというジャンルに、自分達の音楽性を当てはめられることを不満に感じていた[1]。1986年9月リリースのシングル『Judas』を最後に4人編成時代は終了する。

ハンセンがギターを弾きながら歌うスタイル。この当時はメロディック・スラッシュメタルとでも言うべきゴリゴリした狂暴なサウンドのギターリフと疾走するドラムが最大の特徴。それに加えハンセン自身の「魔女のような歌声」と「アーライッ!」に代表されるハイトーンシャウトが載せられ、ポピュラーさよりもパワフルさ重視の典型的なヘヴィメタル楽曲が揃うこととなった(これがメロディック・パワー・メタルの創始という説で定着している)。

楽曲制作はハンセンとヴァイカートの二人によって手がけられる。実質的にサウンドスタイルは、ヴァイカートよりも多数の曲を書いているハンセンの意向が多く反映されているため、ブラック・サバスジューダス・プリーストアクセプトメタリカなどの先輩バンドに影響を受けたような雰囲気が漂っている。実際にアレンジと歌詞だけ変えたような「似ている」楽曲もいくつかあり、このことが現状路線を続けたいハンセンと多様性を求めるヴァイカートとが決別する遠因となった。だが、当時の二人は友人であったのは事実で、いくつか難しい状況に陥ったこともあるが、後の問題に比べれば大したことではなかったという[1]

当時はバンドのマスコットに「Fang Face」というマントを纏った醜悪な顔をした男を、ジャケットイラストやライヴで登場させていた。その後ヴァイカートがこのFang Faceが、アイアン・メイデンの真似をしている(デザインがアイアン・メイデンのマスコットキャラであるエディと酷似している)という理由で嫌いになったため、『Walls Of Jericho』のジャケットイラスト以降、使用していない[1]。代わりにカボチャをデフォルメしたキャラクターが『Judas』以降現れることになり、こちらは現在まで多くのジャケットやライヴに登場している。

ノイズ・レコードとの契約を、ヴァイカートは最低最悪だったと言い、契約しなければ1989年のハンセンの脱退も起こらず、コマーシャル性を前面に打ち出した1993年リリースのアルバム『Chameleon』を作ることもなかったと批判している[1]

マイケル・キスク時代

ギターをプレイしながらメインヴォーカルを取るというスタンスに限界を感じていたハンセンの強い要望により、ヴォーカル探しが行われ、マイケル・キスクが加入。

キスクの加入により、よりポップなエッセンスも注入されることとなる。ヴァイカートの作曲する美しいメロディに乗せて、キスクの声量豊かな突き抜けるハイトーン・ボーカルがこだまする、『Eagle Fly Free』に見られるような、カイとヴァイカートのツインリードによる流麗で重厚なギター・ソロ、ツーバス・ドラムによる疾走感のある曲を特徴とするが、ヘヴィな曲や『Dr. Stein』等コミカルな曲もある。中でも1987年の2nd『Keeper Of The Seven Keys Part1』(邦題:守護神伝-第一章-)、翌1988年の3rd『Keeper Of The Seven Keys Part2』(邦題:守護神伝-第二章-)の2枚のアルバムは世界中で大ヒットし、ジャーマンメタルバンドとしてのハロウィンの名を広めた。この人気に呼応する形で海外ツアーも積極的にこなし、来日ツアーも行っている。この2枚のアルバムは当初は1枚のアルバムに収録されるはずだったものが、予算やその他の関係により、2枚に分割されて発売されたものである。

1989年1月1日にハンセンが脱退し、後任にローランド・グラポウを迎えた。レコード会社をノイズ・レコードからEMIに移籍(マネージメント会社もアイアン・メイデンが所属しているサンクチュアリに変更)して作成した4thアルバム『Pink Bubbles Go Ape』だが、1991年3月のリリース直前に前所属レコード会社のノイズ・レコードから裁判を起こされ、イギリス以外では発売中止となり、バンド活動も禁止となる。1年後の1992年には無事裁判の決着がつき、イギリス以外でもアルバムがリリースされ、バンド活動も行えるようになった。しかしハンセンが脱退したことでキスクのバンド内の発言力が大きくなり、ポップ・メタル路線が強調された『Pink Bubbles Go Ape』、1993年には『Keeper~』からかけ離れた音楽性を持ったアルバム『Chameleon』を発表。この当時のBURRN!誌でのインタビューでは、キスク、ヴァイカートが誌面に登場することが多かったが、ハンセンを「勝手にバンドを去った」「俺たちを置き去りにした」と不仲を強調する発言が見受けられた。

その後、インゴの負傷もあり、キスクとヴァイカートの仲もだんだんと亀裂が生まれ(ヴァイカートの発言権にキスクが異を唱えることがあったため)、次第に亀裂が決定的なものになり、キスク、インゴは事実上解雇に等しい脱退を余儀なくされ、バンドを去ってしまった。

ちなみに93年の来日公演の際、すでに重症だったインゴに代わり、リッチー・アビデル・ナビがサポートで参加。 その直前の欧州ツアーでマーカスが一週間ほど休暇をとり、代行として元マスタープランヤン・エッカートが参加している。

アンディ・デリス時代

1994年、元ガンマ・レイのドラマー、ウリ・カッシュピンク・クリーム69のボーカリストだった、アンディ・デリスが加入。ハンセンの様なワイルドかつスクリームな歌声、キスクの様な美しい穏やかな歌声、両方をこなせる歌唱力を持ち、自身作曲のポップセンスあふれる楽曲はヴァイカートたちと並んでバンドの柱となる。同時にバンドの音楽性も『Keeper〜』路線のメロディアス・パワー・メタルに回帰、人気が低迷していたバンドは同年発表の『Master Of The Rings』で「復活」を果たす。同路線の作品『The Time Of The Oath』(1996年)も好評、バンドの基本的なアイデンティティーを保ちながら、よりヘヴィなスタイルに挑戦した『Better Than Raw』(1998年)も、好セールスを記録する。しかし、北米進出を狙って制作された2000年発表のアルバム『The Dark Ride』は、さまざまな混乱した状況(ヴァイカートとグラポウの不仲、プロデューサー二人起用等)で制作された上、それまでのハロウィン路線からの脱却を図った、アルバムタイトル通りダークで重苦しい内容であった。グラポウとカッシュの脱退後、新人ギタリストのサシャ・ゲルストナーの加入により(ドラマーはマーク・クロスの加入が発表されたものの、病を患い『Rabbit Don't Come Easy』のレコーディングに参加できずそのまま脱退し、ミッキー・ディーモーターヘッド)がサポート参加したのち、レコーディング後に元ランニング・ワイルドU.D.O.ステファン・シュヴァルツマンが加入。)、ハロウィンとしての本来のアイデンティティーを取り戻し、2003年に『Rabbit Don't Come Easy』を発表。ステファンが脱退し、後任にダニ・ルブレを迎えて制作された2005年発表の『Keeper Of The Seven Keys - The Legacy』(邦題:守護神伝-新章-)はベストメンバーによる集大成といった趣で、キャッチーでメロディアスな疾走曲や10分を超える大作、バラードなど盛り沢山な内容となっている。

2007年5月11日よりチャーリー・バウアファイントのプロデュースによるニューアルバム『Gambling With The Devil』のレコーディングをアンディ・デリスの"Mi Sueno Studios"で開始。10月24日発売予定。このアルバムからの先行シングル『As Long As I Fall』が9月27日に発売された。

また、同年11月から始まる、同アルバムをプロモートするための世界ツアーは、『Hellish Rock 2007/2008 HELLOWEEN VERY SPECIAL GUEST:GAMMA RAY』と題され、同時期に新アルバム『Land Of The Free - II』をリリース予定で、初期メンバーのカイ・ハンセンが率いるガンマ・レイとのカップリングツアーとなり、歴史的ツアーとして注目された。日本には2008年2月8日福岡公演を皮切りに、広島東京など6公演が行われた。また、ハードロックヘヴィメタル専門雑誌BURRN!11月号の表紙にもアンディとハンセンが取り上げられ、巻頭特集で2人へのインタビューが組まれた。

メンバー

現在のメンバー

元メンバー

ファイアーウインドに加入。

ディスコグラフィー

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オリジナル・アルバム

この項では日本で発売された日付で表記する。

  発売日 規格 タイトル 販売生産番号
Mini 1986年8月21日 CD ハロウィン

Helloween

VICP-2133
1st 1986年8月21日 CD ウォールズ・オブ・ジェリコ

Walls Of Jericho

VICP-23159
2nd 1987年4月21日 LP
CD
守護神伝 -第一章-

Keeper Of The Seven Keys Part 1

VIL-28076
VDP-1201
3rd 1988年9月21日 LP
CD
守護神伝 -第二章-

Keeper Of The Seven Keys Part 2

VIL-28129
VDP-1380
4th 1991年3月27日 CD ピンク・バブルズ・ゴー・エイプ

Pink Bubbles Go Ape

VICP-8041
5th 1993年6月2日 CD カメレオン

Chameleon

VICP5250
6th 1994年8月24日 CD マスター・オブ・ザ・リングス

Master of the Rings

VICP-5392
7th 1996年3月1日 CD タイム・オブ・ジ・オウス

The Time of the Oath

VICP-5682
8th 1998年3月3日 CD ベター・ザン・ロウ

Better Than Raw

VICP-60235
9th 2000年10月21日 CD ダーク・ライド

The Dark Ride

VICP-61169
10th 2003年5月17日 CD ラビット・ドント・カム・イージー

Rabbit Don't Come Easy

VICP-62323
11th 2005年10月31日 CD 守護神伝 -新章-

Keeper Of The Seven Keys - The Legacy

VICP-63361〜63362
12th 2007年10月24日 CD ギャンブリング・ウィズ・ザ・デヴィル

Gambling with the Devil

VICP-63979
13th 2010年10月27日 CD 7シナーズ

7 Sinners

VICP-64890
14th 2013年1月16日 CD ストレイト・アウト・オブ・ヘル

Straight Out of Hell

VICP-65100

出典・脚注

  1. 1.0 1.1 1.2 1.3 1.4 1.5 『Helloween/Walls Of Jericho/Judas Expanded Edition』ライナーノーツ

関連バンド

外部リンク

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