石田村 (岐阜県)

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石田村(いしだむら)は岐阜県羽栗郡にあった明治7年(1874年)のみ公式上存在した。現在の各務原市神置。

もともと木曽川流域に属していた地域で、氾濫のために地形が入り乱れ、間嶋村と共存状態にあったが、間嶋村側が東本願寺派明通寺を建立し、領主であった旗本坪内氏に間嶋村として届け出たため、氏神の違いも含め、両村は抗争が絶えなかった。地名としては、間嶋村が通称として使われた。しかし、明治になっても抗争は続いたため、ついに羽栗郡は明治7年(1874年)、一時的に石田村を認めた。しかし、両村ともに境界線を持ち合わせないことから、明治8年(1875年)、当時の岐阜県の命令により、両方の「神を置く」という意味を取り、神置村として現在にいたる。

関連項目

参考文献