桜花爛漫 (歌)
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桜花爛漫(おうからんまん)
基本データ
- 作詞者: 不詳
- 作曲者: 不詳
- 成立年: 不詳
JASRAC対策不要の歌である。ただし、旧制大阪商科大学同窓会 「有恒会」 内で作者・成立年の考証が様々になされてきた。「歴史」 の節を参照。
歴史
有恒会内で考証されてきた歌の歴史は以下の通りである。
- 1916年(大正5年)、旧制大阪高等商業学校 角力部(相撲部)の応援歌として成立(推定)。
- ただし、当時の歌い出しは 「芳葩爛漫」(ほうはらんまん)で、歌詞は3番まで。2番・3番は全く別の歌詞だった。当時隣接していた旧制天王寺商業学校(現・天王寺商業高等学校)では 「芳葩爛漫」 の歌詞のまま歌われたが、高等商業学校では歌い出しが 「桜花爛漫」 に変化したと考えられている。なお、成立当時の文献はなく、わずかに1921年(大正10年)発行の 「大阪高商歌集」(村山元 編) が残るのみである。大正10年の歌詞参照。
- 作詞者は当時の角力部員である足助重夫(1916年入学、1920年卒業。1967年没)とする言い伝えがあったが、関係者死去により確証は得られなくなった。
- 公式には作曲者不詳だが、旧制第一高等学校の寮歌 「平沙の北に」(1905年) の短調化した曲が原曲とする指摘がある。比較: 「平沙の北に」 の歌詞とMIDI (第一高等学校同窓会ページより)
- 1929年(昭和4年)、旧制大阪商科大学 剣道部歌として現歌詞が成立。
- 歌い出しは正式に 「桜花爛漫」 となり、新たに 2〜4番の歌詞が追加された(2・4番と 3番とで別の人が作詞した)。4番はもろに剣道部の歌である。その後、旧制大阪商科大学予科の逍遙歌として歌われるようになった。
- 1943年(昭和18年)頃、「プロローグ」(前口上)が付けられる。
継承
- 1949年の新制大阪市立大学発足後、同校に継承されたが、現在では応援団、体育会系や一部の音楽系サークルの関係者にしか歌われないため、実質的に旧制時代の旧歌となっている。
- 旧制卒業生によって、「寮歌祭」では旧制大阪商科大学予科の「代表寮歌」として歌われている。
- 1969年夏頃から、創価学会で 「桜花爛漫の歌」 として歌われるようになった。
内容
1番〜4番はそれぞれ作者が異なり、別個に作られたため、一貫する主題はない。敢えて主題を挙げれば以下のようになる。
- 1番: 人生の迷いと壮図
- 「桜花爛漫」・「月朧ろ」・「胡蝶の舞」 を慕うのは迷いの一部。
- 2番: 歴史の無常
- 冒頭の「天地静かに夜 (よる) 更けて」 は土井晩翠 「万里長城の歌」 の引用と考えられる。
- 3番: 不変の友情
- 4番: 決戦
寮歌祭のように 1〜3番のみを歌えば、壮図と友情を歌う寮歌となる。創価学会のように 1〜2番・4番のみを歌えば、雅やかな勝利の歌となる。
関連項目
書籍
- 日本寮歌集編集委員会(編) 『日本寮歌集』 日本寮歌振興会 発行、国書刊行会 発売、1992年10月(新装版)。ISBN 433603320X
- プロローグの「胸」と「腕(かひな)」が入れ替わっており注意。この誤りが他の書籍にも引き継がれている。
- 大阪市立大学百年史編集委員会(編) 『大阪市立大学百年史 : 全学編 上巻』 1987年11月。253頁-256頁
- 有恒会百年史編集委員会(編) 『有恒会百年史』 有恒会、1990年9月。455頁-469頁
- 歴史考察についてまとめられている。
- 聖教新聞社(編) 『希望のうたごえ Vol.1』 1996年8月。ISBN 4412007766
- 創価学会版の伴奏楽譜が掲載されている。
脚注
- ↑ 逍遙歌(逍遥歌)とは、伝統的な学生歌(広義の寮歌)の一種で、「散歩のとき歌う歌」程度の意味であり、本来はゆっくりと歌う歌である。
- ↑ 大阪市立大学百年史編集委員会(編) 『大阪市立大学百年史 : 全学編 上巻』 255頁。
外部リンク
- 大阪市立大学学友会ページ - 歌詞、楽譜、オーディオ
- 1番の 「南何」 は 「南柯」、2番の 「烏丘が永久に」・「風粛々と」 は、それぞれ 「烏丘永久に」・「風蕭々と」 が正しい。
- 大阪市立大学商学部ページ - 歌詞、楽譜、オーディオ
- 歴史考察によって修正されたバージョン。3番の 「友の情け」 は 「友の情(じょう)」 が正しい。
- 「平沙の北に」との関連について - 「疾風怒濤の館」