松本 氏輔(まつもと うじすけ、生年不詳 - 天正2年5月13日(1574年6月2日))は、戦国時代の武将。蘆名氏の家臣で、「蘆名四天の宿老」と呼ばれた重臣の一人。陸奥大沼郡船岡城主。通称は図書助(ずしょのすけ)。名は氏興[1]とも。松本舜輔の子。子に松本行輔がいる。
名の氏輔は、主君蘆名盛氏から「氏」の偏諱を受けたものである。
1574年6月2日(旧暦5月13日)、田村清顕と戦い戦死した。
福島県大沼郡会津美里町の曹洞宗寺院・松沢寺は氏輔が再興したとされ、氏輔父子の肖像画が現存している(会津若松市の長福寺が管理)。
脚注
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- ↑ 東京大学史料編纂所は、松本氏は代々「輔」を通字としている模様として、『伊達家文書』に記録されている「氏輔」を採用している