松平忠誠 (肥前国島原藩主)

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松平 忠誠(まつだいら ただなり)は、肥前島原藩の第4代藩主。島原藩深溝松平家10代。

文政7年(1824年)1月17日、第8代藩主・松平忠侯の次男として生まれる。天保11年(1840年)4月9日、父が42歳の厄払いの宴会の最中に病に倒れ急死したため家督を継ぎ、12月16日に従五位下・主殿頭に叙位・任官する。藩政ではシーボルトの弟子となって西洋医学を学び、藩の医学校・済衆館に薬草園を作り、薬草を栽培させた。

弘化4年(1847年)4月16日、江戸で病死した。享年24。跡は弟で養子の忠精が継いだ。


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