堀江頼忠

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堀江 頼忠(ほりえ よりただ、? - 元和3年9月12日1617年10月11日))は里見氏の家臣・家老

堀江氏は元は「堀内」と称して里見義実あるいは義通の頃からの代々家老を務め、稲村の変の後に家名を「堀江」と改名したとされている。[1]能登守と称して、里見義康の代である天正年間後期から重臣の列に加わる。次の主君である里見忠義からは特に里見姓を名乗ることを許される。だが、正木頼忠時茂(時堯)ら保守的な重臣と印東房一ら忠義側近らとの確執が藩政を混乱させ、慶長16年(1613年)里見氏は事実上改易となり、里見忠義は伯耆国に配流される。頼忠はこれに同行して最後まで忠節を尽くした。館山市にある頼忠寺は彼が再興した寺院であると伝えられている。

補注

  1. 千野原靖方佐藤博信らの研究による
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