伊東祐之 (飫肥藩主)

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伊東 祐之(いとう すけゆき、享保12年5月8日1727年6月26日) - 延享元年9月2日1744年10月7日))は、日向飫肥藩の第7代藩主。

第6代藩主・伊東祐永の九男。母は伊東祐実の養女(伊東祐崇の娘)。松平義昌外曾孫でもある。官位は従五位下。大和守。幼名は熊太郎。

江戸藩邸にて生まれた。元文4年(1739年)、父の死去により跡を継ぐ。この頃の藩政では、荒川稲や町人による渡船・踊興行などが広まったと言われている。延享元年(1744年)9月2日、18歳で死去した。嗣子が無く、庶兄の祐隆が跡を継いだ。なお、外祖父祐崇は3年後に死去している。治世中寛保二年江戸洪水があり、西国大名の手伝い普請に参加した。

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