ルートヴィヒ2世 (東フランク王)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ルートヴィヒ2世(Ludwig II、804年 - 876年8月28日)は、東フランク王国(カロリング朝)の国王。ルートヴィヒ1世(敬虔王)の子(在位:843年 - 876年)。母はその最初の妃エルマンガルド・ド・エスベイ。ドイツ人王と称されている。
父・敬虔王の死後、弟のシャルル2世(禿頭王)と手を結び、王国のすべての領土を手中に収めようとした兄ロタール1世に対抗、843年のヴェルダン条約でライン川やアーレ川以東の地を獲得し、東フランク王国を築き上げた。これが、後のドイツの起源である。
869年、中部フランク王国の王ロタール2世が死去すると、翌年にシャルル2世とメルセン条約を結んでその遺領を分割併合した。876年、73歳で死去し、後を子のカールマンが継いだ。
子女
827年に、アルトドルフ伯ヴェルフの娘ヘンマ(? - 876年)(父ルートヴィヒ1世の二度目の王妃ユーディトの妹)と結婚、3男4女がいる。
- ヒルデガルド(828年 - 856年/859年) マインのミュンスターシュヴァルツァヒ女子修道院長、チューリヒのフラウミュンスター女子修道院長
- カールマン(830年頃 - 880年) 東フランク王
- イルムガルド(エルメンガルド)(830年/833年 - 866年) バイエルンのフラウエンキームゼー女子修道院長
- ルートヴィヒ3世(835年 - 882年) ザクセン王
- カール3世 (839年頃 - 888年) フランク王、ローマ皇帝
- ベルタ(? - 877年) マインのミュンスターシュヴァルツァヒ女子修道院長、チューリヒのフラウミュンスター女子修道院長
- ギーゼラ(840年 - 891年) シュヴァーベン宮中伯ベルヒトルド1世と結婚、ドイツ王コンラート1世妃クニグンデの母