ラティ/サロランタM1926軽機関銃

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ラハティ/サロランタM1926軽機関銃は、20世紀にフィンランドで開発された軽機関銃である。

ラハティ/サロランタM1926軽機関銃の登場

1925年に当時フィンランドでは有名な銃技師、アイモ・ラハティとA・E・サロランタ中尉によりラハティ/サロランタM1926軽機関銃が開発された。その年のフィンランド軍部による選考試験にも合格したM1926は翌年の1926年から生産が開始された。射程は200~400m、弾倉には20発のバナナ型弾倉を使用。後に75発用のドラム式弾倉も開発されたがあまり使用された形跡がない。理由としては運搬時に重いドラム弾倉では大変不便だったのと少ない補給状態から部隊が75発もの弾薬をばら撒くことを拒んだ可能性もある。しかし1940年代のフィンランド軍の戦時マニュアルには防空射撃任務時のみドラム弾倉が使用されたと記述されているが実際に使用している時の写真などは残っていない。

補助装具としては、メンテナンス用の工具や部品を入れた丸いチューブ型ホルスター(トング、プライヤー、潤滑油、ドライバー、スプリング、ボルト、予備銃身など収納)や、M1926用に特別に作られた皮製の弾倉収納バックがある。射撃には、兵器マニュアルには射撃長、小銃射撃手、弾薬装填係と4人の弾薬運搬係の計7名での運営が主である。だが実際は兵力不足から射撃手と弾薬装填係のみで運営していた場合が多い。そのため弾薬は射手と補助係が5個の弾倉が入った皮製のバッグを合計3袋持って運用した。(当時フィンランド軍では軽機関銃の一日分の弾薬は約1200発が割り当てられていた。しかも射撃後の廃薬莢を再利用するため回収命令が出されていて、それだけソ連との戦争でフィンランド軍は補給面で余裕が無かった)

機関部の特徴としてはコッキング・ハンドル部とボルト部をそれぞれ別々にすることで射撃時の反動を抑える事が出来た。銃身の交換も簡単にでき、セレクティブ・ファイア機構を備えている。また銃身には銃脚が装着されている。しかし大きくカーブしたバナナ型弾倉はしばしば給弾不調を起こし、M1926にとって最大の課題となった。

その後

ソ連との冬戦争及び継続戦争でラハティ/サロランタM1926軽機関銃は前線で使用された。しかし前線兵士には評判は悪かった。重く給弾方式が不安定だったM1926はフィンランド軍では頼みにならないとされた。その内前線でもスオミ KP/-31やソ連軍から鹵獲したDP28軽機関銃の方を好んで使用するようになりM1926は次第に戦線からは取り外されるようになった。

ラハティ/サロランタM1926軽機関銃はその後1926年~1942年の間生産され、海外向けへの輸出では1937年に中華民国からの約30000丁の受注が最大である。(実際は1200丁しか輸出されなかった)

冬戦争及び継続戦争 後、M1926は26丁だけフィンランド軍の軍需倉庫に保管、残りの数千丁は1985年まで訓練用重火器として使用された後に1985年の初期に廃棄処分となった。しかし倉庫には現在でもM1926数丁がDP28軽機関銃と共に保管されている。