マルコによる福音書
テンプレート:新約聖書 マルコによる福音書(マルコによるふくいんしょ、テンプレート:Lang-el、テンプレート:Lang-la)は新約聖書中の一書。
ヒエロニムス以降、伝統的に新約聖書の巻頭を飾る『マタイによる福音書』の次におさめられ、以下『ルカによる福音書』、『ヨハネによる福音書』の順になっている。執筆年代としては伝承でペトロの殉教の年といわれる65年から『ルカ福音書』の成立時期である80年ごろの間であると考えられる。『マタイによる福音書』、『ルカによる福音書』と共に「共観福音書」とよばれ、四つの福音書の中でもっとも短い。呼び方としては『マルコの福音書』、『マルコ福音』、『マルコ伝』などがあり、ただ単に『マルコ』といわれることもある。
成立
『マルコによる福音書』(本文からは成立年代をうかがわせるものはほとんどない。本文の中で「小黙示録」といわれる箇所(13:1-2)を紀元70年のエルサレム陥落と結びつけて70年以降の成立とみるのが伝統的な解釈であった。しかし現代の聖書学者たちはルカやマタイの神殿預言とも比較した上で、『マルコ福音書』の成立年代を70年~73年ごろに確定することは難しい と見る。現代で主流となっているのは65年~70年ごろの成立という説である。他にもそれ以前とかそれ以降という説もあるが、少数意見にとどまっている。
著者
『マルコによる福音書』(以下『マルコ福音書』)本文には著者を同定する手がかりは何もない。しかし、2世紀のパピアス以来、第二福音書(『マルコ福音書』)の著者はペトロの通訳を務めた弟子で、ペトロからイエスの生涯について聞き取ったマルコであるとされてきた。もしこの伝承が史実なら、マルコはイエスを直接知る人々からイエスについての証言を聞いたことになる。なお、パピアスの資料は現存しておらず、カイサリアのエウセビオスの以下のような引用によってのみ知られている。
エウセビオスの引用をよく読むと、マルコの記録したものは単なるイエスの言葉などであって、決して福音書のようなまとまったものでなかったことがわかる。この記述からはマルコが福音書を書いたということを結論することは難しい。2世紀のアレクサンドリアのクレメンスから20世紀前半にいたるまで、『マルコ福音書』がローマで書かれたというのが定説であったが、数十年の間に疑義が呈され、現在ではおそらくシリアのどこかであるという説が有力になっている。ローマ説の根拠は『マルコ福音書』のギリシャ語にラテン語の影響が見られることであったが、それはローマ帝国内であればどこでも言えることである。それ以上にパピアスのいうマルコが誰なのかということがよくわからないという問題がある。『ペトロの第1の手紙』5:13でも協力者マルコについて言及されているが、マルコというのは1世紀では非常にありふれた名前だったのである。
『マルコによる福音書』ではガリラヤの地理に関する記述で混乱や誤りが見られる。これは著者あるいは著者に情報を提供したものがガリラヤの地理に明るくなかったことを意味しており、その点でもペトロの情報をもとにしたとはいいがたい。また、もう一つの根拠であったローマでのキリスト教徒への迫害との関連でも、迫害は散発的にローマ以外でも起きていた ため、根拠にはなりがたい。結局、『マルコ福音書』の著者が誰でどこで書かれたのかということに関してはなんら決め手がないのである。
執筆対象
伝承では、『マルコ福音書』はラテン語を母語とするヘレニストの著者によってローマ帝国内のギリシャ語話者を対象に書かれたと考えられてきた。その理由としてユダヤ教の習慣が非ユダヤ教徒向けに解説されていること(たとえば7:1-4など)、アラム語の単語に解説がつけられていること[1]。また他の福音書にはみられないラテン語的なギリシャ語表現が含まれていること[2]などであり、これらのことからマルコ福音書の著者はギリシャ語を外国語として用いたと考えられてきた。
著者がヘレニストであるということは文章表現だけでなく、文章の内容からも推察できる。たとえば、サンヘドリンが陰謀をめぐらしてイエスに罪を着せ、処刑に陥れたというくだりは後世において反ユダヤ主義の論拠として利用された。また、ファリサイ派を徹底的に悪者として描く筆致からも明らかに対象が非ユダヤ人、もしくはヘレニズムの影響を強く受けたアレクサンドリアなどのユダヤ人などであることがわかる。さらに『マルコ福音書』の著者は他の共観福音書と同様に旧約聖書を七十人訳聖書から引用している。ただ、上記のようなことから『マルコ福音書』が単純に反ユダヤ的色彩を持っていると言い切るのは単純すぎる。福音書の中でイエスの姿は伝統的なユダヤ教の救世主観にそって描かれている。
資料について
『マルコ福音書』を分析すると、もともと口述されたものであったことをうかがわせる部分がある。たとえば「すぐに」εὐθύς(euthus)という言葉が42回使われているが、これは他の福音書ではあまりみられず、ルカ伝7回、ヨハネ伝4回に過ぎない。「すぐに」いう表現は、ギリシャ語に特有の過去のことを現在法で記述する「歴史的現在」という用法と関連があり、口語表現の顕著な特徴である。また、「再び」(パリン)という言葉も話をつなぐために使われることが多いことや、「読者は理解せよ」という13章14節で突如あらわれる著者からの呼びかけなどからももともと口述されたものを記録したものであると思わせる表現は多い。
現在の福音書研究者の間で主流となっている学説は「二資料仮説」といわれるものである。これは現在の『マタイ福音書』と『ルカ福音書』が共に『マルコ福音書』およびイエスの言葉資料「Q資料」をもとにして書かれたという説である。そこで起こるのは、では『マルコ福音書』は「Q資料」を参照しているのか?という問題である。もともと「Q資料」というものの存在が想定されたのは、『マルコ福音書』にない記述で『ルカ福音書』および『マタイ福音書』にはあるイエスのことばの資料をどう考えるかということからである。そう考えると『マルコ福音書』は「Q資料」を参照している可能性は低いことになるが、研究者によっては『マルコ福音書』の中にも「Q資料」の影響を見ているものもあり、現在でも議論が続いているテンプレート:要出典。
マルコ福音書に見られる特徴
『マルコ福音書』には他の特徴とは異なっていくつかの特徴がみられる。以下に主なものをあげる。
- 『マルコ福音書』では、マタイやルカにあるようなイエスの系図や幼年時代、あるいは洗礼者ヨハネの誕生に関する物語が一切なく、イエスの公生活から始まる。
- イエスはみずからを「人の子」と呼ぶ。これはマルコのキリスト論の核心を示す表現とも言える。『イザヤ書』52章から53章の「苦難の僕」の箇所にあらわれる「人の子」との共通点も指摘される。マルコがイエスを「苦難の僕」と結びつけ、栄光に入ることを示唆するように、キリスト教徒に対して迫害に耐えるよう励ます意図があると考えられる。
- 1:12-13の「荒れ野での誘惑」ではサタンは登場しない。
- 2:27「安息日が人のためにつくられた、人が安息日のためにつくられたのでない」というイエスの言葉は過激すぎると思われたのか、マタイとルカの並行箇所では記述されていない。
- 3:21ではイエスの家族が、イエスの気が狂ったと考えた。
- 共観福音書の中でたとえ話が12ともっとも少ない。
- 5:13の悪霊(レギオン)が豚の群れにのりうつる話でマルコのみが二千頭という数字を記す。
- 6:3では福音書の中で唯一、イエスが「マリアの子」であると記述される。
- 女性が癒される話が二つ続くが、どちらでも12という数字が用いられる。(5:25、5:42)
- 6:9-10で弟子を派遣する際に「杖とはきもの」の携行を許すが、マタイとルカの並行箇所(9:3、10:4)ではそれらも許されない。
- 6:14-29にヘロディアの娘と洗礼者ヨハネに関する話の最も長いバージョンを含む。
- 7:33ではイエスが指につばをつけて癒す。
- 8:22ではイエスは目の見えない人をいやすために二度手をおかなければならなかった。
- 「メシアの秘密」というモチーフ(1:32-34、3:11―12)はマルコのみ現れる。悪魔たちはイエスが神の子であることを知っている。
- 『ヨハネ福音書』などと違い、「イエスの愛する弟子」は存在しない。
- 共観福音書で唯一、「主の祈り」がない。
- 14:51でイエスの捕縛時、一人の若者が裸で逃げていく。
- 14:56ではイエスへの偽証はことごとく失敗する。
- 14:62ではイエスははっきりと自分がメシアであることを宣言。
- 14:72では鶏は「二度」鳴いた。
- 15:17ではイエスは王であることを示す紫の服を着せられる。マタイの並行箇所(27:28)では兵士に支給されていた赤いマントを着せられる。
- 15:21ではキレネのシモンの息子たちの名前が記されている。
- 15:44では百人隊長がイエスの死を確認する。
- 16:3では女性たちが「誰が墓石を転がしてくれるだろう」といいあう。
- 16:5では若い人が右手に座っている。
- イエスの墓で空であることを知った女性たちは恐れて誰にも言わなかった。
- 16:18では復活したイエスが弟子たちに蛇をつかみ、毒を飲んでも害がないという。
- 「彼(マルコ)はイエスの客観的かつリアリスティックな姿を伝えている」[3]
マルコ優先説
古代から中世に至るまで、(1)十二使徒の一人マタイが著者である信じられてきた「マタイ福音書」に圧倒的な権威が置かれたこと、(2)内容の充実している「マタイ福音書」を「要約」したものが「マルコ福音書」であるという説が教会に浸透していたこと、などの理由から、古代以来もっとも「簡潔」な内容である「マルコ福音書」は聖書研究の上で「軽視」されがちな傾向があった。
しかし、マタイ、マルコ、ルカの共観福音書のうち、最初に書かれたのが素朴な『マルコによる福音書』であると言う「マルコ優先説」をカール・ラハマンが提出(1835年)して以来、マルコ優先説がプロテスタントの中でも高等批評の立場に立つ聖書学の主流を占めるようになり、共観福音書の中で最古の重要資料であるという認識がされるようになった。
さらに、先の「マルコ優先説」を元に、「マタイ福音書」および「ルカ福音書」が共に「マルコ福音書」と仮説上のQ資料の二つを基礎資料として利用したという「二資料仮説」が現在では主流となったが、この立場からも「マルコ福音書」をQ資料と並ぶ最古の資料のひとつとして研究上重要な資料とみなすことに変わりはない。 現在はカトリックやプロテスタントの中でも高等批評の立場に立つ聖書学者の間では「二資料仮説」が主流となっている。
こうした議論を踏まえ、イエスの歴史的実像を文献学的に追求しようとする史的イエス研究においても最古の資料であるとして、重要視する研究者も多い。
もっとも、『マタイ福音書』のアラム語版の存在を仮定しマタイが先行する福音書であるという旧来の説を補強し続ける研究者なども少数派ながら存在し、今なお「マルコ優先説」に対して批判が試みられ続けている。
本文批評問題
『マルコ福音書』には、いくつかの重要な本文批評上の問題がある。
(A) 冒頭(1:1)の「神の子」という句は、最も議論の多い箇所のひとつである。シナイ写本元記とオリゲネス等の古代教父の引用にこの句がないことから、ネストレ・アーラント25版まではこの句を採用していない。しかし、26版以降、[ ]付き(校訂者が最終判断を留保する意)で本文に加えられた。邦訳聖書のほとんどは従来からこの句を採用している。一部に、「異本にこの句を欠く」等の注がある。
(B) 古くから多くの議論がなされてきたのは福音書の結末部分(16:9以降)である。
マルコ福音書には下記のように写本によって結末が数種類存在する。
(1)16:8 を結末として終わっている写本群。
(2)「長い結尾 Longer Conclusion」(16:9-20)と呼ばれる結末を持つ写本群。
(3)「短い結尾 Shorter Conclusion」と呼ばれる全く別の結末部分を持つ写本群。
現在の本文批評においては、16:8 で終わっている写本群が数種の有力で良質な古写本を含んでいること、さらに「長い末尾」も「短い末尾」も独自の内容を持たず他の福音書の結末部分から後の時代に作成および付加されたと推測されることなどから、写本が流布する以前は16:8 までが『マルコ福音書』の元来の本文だったとするのが最も有力な説である。しかし、16:8 で福音書が終わるとすると書物の結尾の文体としては唐突な印象になることが否定できないため、著者の殉教などにより福音書が未完に終わったとする説や、写本流布の前に著者の原稿が損傷し結末部分が失われたとする説、さらに結末部分としては一見不釣合いな唐突な終わり方こそ『マルコ福音書』の著者の本来の意図であると主張する学者などもおり、各種の議論が行われている。
脚注
- ↑ たとえば5章41節「タリタ・クム」、14章36節「アッバ」など
- ↑ たとえば12章42節「コドゥランテース」(κοδραντης)
- ↑ A Grammar of the Greek New Testament in the Light of Historical Research,p.119,A.T.Robertson,"He gives an objective picture of Jesus and a realistic one."
関連項目
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