ハインリヒ7世 (ドイツ王)
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ハインリヒ7世(Heinrich VII., 1211年 - 1242年2月10日)は、ホーエンシュタウフェン朝の神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世の嫡男。母はアラゴン王女コンスタンサ(コンスタンツァ)。異母弟にコンラート4世、サルデーニャ王エンツォ、アンティオキア公フリードリヒ3世、マンフレーディらがいる。
皇太子としてドイツ王(在位:1216年 - 1235年)となったが、ドイツ諸侯の権利独占を黙認した父・フリードリヒ2世の政策に不満を持ち、それを目につけたグレゴリウス9世がロンバルディア都市同盟を結んで反乱を起こすように煽動され、1234年に父帝がイタリア遠征中についに反乱を起こした。しかし、ハインリヒ7世は孤立してしまい、父の軍勢によって捕虜されて廃嫡された。さらにハインリヒ7世は父によって目を潰されて、南イタリアのプーリャの居城に幽閉された。後に別の居城へ護送途中にハインリヒ7世は山中の断崖絶壁の谷間に投身自殺をした。
1225年にバーベンベルク家のオーストリア公レオポルト6世の娘マルガレーテと結婚、ハインリヒ8世とフリードリヒ4世を儲けたがいずれも若くして早世した。ハインリヒ7世の死後、マルガレーテはオタカル2世と再婚した。
家族
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