ニルヴァーナ (バンド)

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ニルヴァーナ (Nirvana) は、1987年に結成された、アメリカバンド。バンド名には、仏教用語の「涅槃の境地」という意味合いとテンプレート:要出典

全世界でのトータルセールスは、約7500万枚[1][2]

「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100組のアーティスト」において第30位[3]

メンバー

最終的な顔ぶれ

ツアーメンバー

  • パット・スメア(Pat Smear) - ギター(1993–1994)
元ジャームス (The Germs)のギタリスト。アルバム『イン・ユーテロ』リリース期から参加していた。後のフー・ファイターズのメンバーでもある。

元メンバー

ギター

  • ジェイソン・エヴァーマン(Jason Everman)(1989)
在籍当時、学生。脱退後、サウンドガーデンマインド・ファンクなどでプレイ。その後、陸軍に入隊する。
陸軍にて第2レンジャー大隊の一員となり、2001年からはグリーンベレーに所属、イラク・アフガンで戦っていた。
2006年に軍を退役し、コロンビア大学にて哲学を専攻し、卒業する。

ドラム

  • アーロン・バークハード(Aaron Burckhard)(1987 – 1988)
  • デイル・クローヴァー(Dale Crover)(1987 – 1988、1990)
メルヴィンズのドラマーで一時的に参加。
  • デイヴ・フォスター(Dave Foster)(1988)
  • チャド・チャニング(Chad Channing)(1988 – 1990)
  • ダン・ピーターズ(Dan Peters) - drums (1990)
マッドハニーのドラマーで一時的に参加。

来歴

ワシントン州アバディーンでリードシンガー/ギターのカート・コバーン、ベースのクリス・ノヴォセリック、そしてドラムのアーロン・バークハートによって1987年にバンドを結成。バンド名は、フィーカル・マター、ペン・キャップ・チュー、テッド・アルフレッドといった変遷を経て、最終的に「ニルヴァーナ-Nirvana」(=涅槃)に落ち着いた。

ドラマーが安定せず数回メンバーチェンジを繰り返しやがてチャド・チャニングに落ち着く。

1980年後半のグランジシーンにて存在感を増しつつあったニルヴァーナは、1989年に独立レーベルであるサブ・ポップと契約を交わし、彼らの最初のアルバムである『ブリーチ - BLEACH - 』をリリースした。バンドのメイン作曲者であったカートは、次第に"静かなヴァースと激しいヘビーなコーラスの繰り返し"というダイナミックな対比という手法を確立していく。それからほどなくして、技術的な問題からカートはドラマーのチャド・チャニングを解雇する。その後、オーディションを経てデイヴ・グロールをドラマーに迎え、よく知られたメンバーが顔をそろえることとなる。

1990年に、メジャーレーベルであるゲフィン・レコードと契約。1991年に発表した2ndアルバム『ネヴァーマインド - NEVERMIND - 』はBillboard 200で1位を記録、MTVではシングル「スメルズ・ライク・ティーン・スピリット - Smells Like Teen Spirit - 」がリピートされるなど、当時のアメリカ音楽界に衝撃を与え、ヘヴィメタルから一夜にしてグランジが新たなトレンドとなった。ニルヴァーナを筆頭に、パール・ジャムアリス・イン・チェインズサウンドガーデンなどのグランジバンドは新たな若者達のヒーローとして祭り上げられた。

カートのヘロイン中毒という問題を抱えていたバンドは一時活動麻痺の状態となり、1992年コンピレーション・アルバム『インセスティサイド - Incesticide - 』を発表することとなった。続く1993年には、ニューアルバム『イン・ユーテロ - IN UTERO - 』を発表している。予想された程の売れ行きではなかったが、アメリカとイギリスのチャートのトップにランクインした。

しかし、成功から来る重圧に耐えられなくなり、次第にドラッグにのめり込んでいったカートは、自殺未遂や奇行が目立つようになり、ついには1994年4月5日にシアトルの自宅にてショットガンで頭を撃ち、自殺。

カートの死後、ライブ版を含む何枚かのアルバムがリリースされている。2人の残ったメンバーであるグロールとノヴォセリック及び妻のコートニー・ラブは、レア音源やリリースされていない曲の発表に関する問題で激しく議論した[4][5][6]2002年10月29日に法廷で決着がつき、ヒット曲やカート生前最後のレコーディング音源である未発表曲「You Know You're Right」を含むアルバム『ニルヴァーナ - Nirvana - 』が発表された。

ニルヴァーナの解散後、デイヴはフー・ファイターズ (Foo Fighters) を結成し、2011年に発売された『ウェイスティング・ライト -Wasting Light-』はバンド初のBillboard 200での1位を獲得するなど、今も活動している。一方、クリスはスウィート75 (Sweet 75)、アイズ・アドリフト (Eyes Adrift) というバンドを結成したが、近年は政治・執筆活動に専念している。

2012年12月12日に、ニューヨークで行われたハリケーン「サンディ」の被害支援チャリティーライブで、デイヴとゲスト・ボーカルのポール・マッカートニーと共作した新曲「Cut Me Some Slack」を披露した[7][8]

ディスコグラフィ

オリジナルアルバム

ライブアルバム

ベストアルバム

  • ニルヴァーナ シングルズ - Nirvana Singles(1995) (日本では2006年に発売)
  • ニルヴァーナ - Nirvana(2002) 最高位3位、プラチナム(U.S.) 最高位3位、プラチナム

未発表曲&別テイク集

ガンズ・アンド・ローゼズとの関係

ガンズ・アンド・ローゼズとは対立関係にあり、それは当時のファンを二分するほどだった。カートはガンズに対し、「ガンズ・アンド・ローゼズはロック・スターになりたかっただけ[9]」「ガンズ・アンド・ローゼズにはファッションしかない。俺たちにはパッション(情熱)がある[10]」と発言している。

元々アクセル・ローズはニルヴァーナのファンであったが、カートが一方的にアクセルとガンズ側を批判したため、対立関係が生まれた。カートの死後、アクセル以外の元ガンズ・メンバーとニルヴァーナ・メンバーは和解し、元メンバーのバンド、ヴェルヴェット・リヴォルヴァーは「ネガティヴ・クリープ (Negative Creep)」をカヴァーしている。

2010年に発表された、スラッシュ初のソロ・アルバムには、デイヴ・グロールダフ・マッケイガンが参加している。

来日公演

脚注

  1. "Nirvana catalogue to be released on vinyl". CBC.ca. March 21, 2009. Retrieved March 7, 2012.
  2. "Top Selling Artists". Recording Industry Association of America. Retrieved March 7, 2012.
  3. 100 GREATEST ARTISTS 30 Nirvana Rolling Stone
  4. ホールのコートニー・ラヴがニルヴァーナの管理をめぐって訴訟を起こすBARKSニュース 2001年10月7日
  5. 元ニルヴァーナのメンバー、コートニー・ラヴと全面対決BARKSニュース 2001年12月14日
  6. Kurt Cobainの家族がニルヴァーナのGrohlとNovoselicに反応BARKSニュース 2001年12月15日
  7. ポール・マッカートニー、ニルヴァーナのメンバーと共演BARKSニュース 2012年12月14日
  8. ポール・マッカートニー、ハリケーン・サンディ被害支援ライヴでニルヴァーナ再結成に参加RO69(アールオールロック) 2012年12月14日
  9. 『rockin'on』 1992年5月号、16頁。
  10. 『rockin'on』 1992年1月号、22頁。

外部リンク

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