ホーカー シーフューリー

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テンプレート:Infobox 航空機 ホーカー シーフューリー (Hawker Sea Fury) とはイギリス航空機メーカー、ホーカー・エアクラフト社が開発しイギリス海軍航空隊 (Fleet Air Arm) を中心に使用されたレシプロ艦上戦闘機である。

開発

ホーカー・エアクラフト社が第二次世界大戦中に送り出したホーカー タイフーンは設計の不備や搭載エンジン、ネイピア製セイバーエンジンの不調により、当初、要求された高速戦闘機としては失敗作となり、低空での運動性の良さから戦闘爆撃機として活躍したが、これに満足しないホーカー・エアクラフト社はタイフーンの主翼と胴体を改設計したホーカー テンペストを開発し速度性能と高高度性能の向上を図り、これに成功した。しかし、テンペストは機体が複雑で重量がホーカー・エアクラフト社の想定より重くなってしまい、1942年頃からホーカー・エアクラフト社はテンペストを更に改設計して軽量、小型化することを決めた。折良く、空軍から仕様F.6/42が出され新たな戦闘機が求められたため、ホーカー・エアクラフト社はテンペストを軽量、小型化し空冷エンジン、ブリストル製セントーラスエンジンを搭載した戦闘機を提案し開発を進めた。また、テンペストまでホーカー・エアクラフト社は機体構造に鋼管骨組みを用いてモノコック構造を一部にしか用いなかったが、この機体から軽量化のため機体全体にモノコック構造を採用することにした。その後、1943年に海軍向け戦闘機仕様F.2/43が出されホーカー社は、この要求も仕様F.6/42の機体を一部改設計して対応することとし1944年には設計が終了した。

空軍向けの機体は1944年9月に初飛行し、フューリーと名付けられた。1945年2月には海軍向けの機体、シーフューリーが初飛行したが、同年5月8日にはドイツが降伏しヨーロッパ方面の戦闘は終結したため、空軍向けのフューリーは発注をキャンセルされ、海軍向けのシーフューリーも発注数を大幅に削減されてしまった。シーフューリーの生産は戦後も続けられた。シーフューリーはネイピア製セイバーエンジンに比べれば構造が簡単な空冷のブリストル製セントーラスエンジンを搭載したため信頼性が高く、運動性も良好で高性能な機体であった。

活躍

ファイル:Hawker Sea Fury ExCC.jpg
カナダ海軍のシーフューリー FB.11

第二次世界大戦には間に合わなかったシーフューリーではあるが、1950年から始まった朝鮮戦争に於いて活躍した。艦隊軽空母グローリー、オーシャン、テセウスとオーストラリア海軍の空母シドニーに搭載され、参戦した。敵側の航空兵力が手薄だったため、主に対地攻撃に用いられたが、ジェット戦闘機MiG-15の撃墜も記録している。また、フェアリー ファイアフライと出撃した際はジェット戦闘機MiG-15の邀撃でファイアフライが被害を受ける一方でシーフューリーは振り切ることができた。その翌日にもMiG-15に追撃される場面があったものの、シーフューリーは損傷を受けながらも空母に帰還した。シーフューリーは艦載機向きではないスーパーマリン シーファイアに代わる海軍の主力戦闘機として重要な役目を果たしたが、1953年までにホーカー シーホークスーパーマリン アタッカーと交代していった。

シーフューリーは各国に輸出され、カナダオランダエジプトビルマキューバイラクパキスタン等で使用された。1961年にはピッグス湾事件の際に、キューバ空軍のシーフューリーがCIAに指揮された亡命キューバ人の部隊と交戦している。退役後の現在も、民間に払い下げられた機体が個人所有となり、エアレースで活躍している。

採用国

派生型

ファイル:Hawker Sea Fury 1985.jpg
訓練用複座シーフューリー
ファイル:Hawker.sea.fury.folded.arp.jpg
ケンブル空軍基地で展示されるシーフューリー FB.11 (Mk II)
  • フューリー
  • フューリー・トレイナー
  • シーフューリー F.10 : イギリス海軍が採用した単座戦闘機型。
  • シーフューリー FB.11 : イギリス海軍とカナダ海軍が採用した戦闘爆撃機型。
  • シーフューリー T.20
  • シーフューリー F.50
  • シーフューリー FB.51
  • シーフューリー FB.60
  • シーフューリー T.61

スペック (FB.11)

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関連項目

外部リンク

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