サンチョ4世 (カスティーリャ王)
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サンチョ4世(スペイン語:Sancho IV, 1257/58年 - 1295年4月25日)は、カスティーリャ王国の国王(在位:1282年 - 1295年)。「勇敢王」(el Bravo)と呼ばれる。アルフォンソ10世と王妃ビオランテ・デ・アラゴンの次男。
兄にフェルナンド・デ・ラ・セルダがいたが、1275年7月に死去した。その後、1282年に父と対立し、この争いに勝利して父を廃して自ら国王として即位する。これに対して父は宿敵であるマリーン朝のアブー・ユースフ・ヤアクーブと連合して反抗してきたが、サンチョ4世はこれを撃破して父をセビリャに幽閉した。そして1284年に父が死去し、名実共に国王となった。兄フェルナンドにはアルフォンソ、フェルナンドの2人の息子がいたが、これも退けている。
1282年に結婚した王妃マリア・デ・モリナとの間に、イサベル(アラゴン王ハイメ2世妃、後に離婚)、フェルナンド(後のフェルナンド4世)、ペドロ(アルフォンソ11世の摂政)、ベアトリス(ポルトガル王アフォンソ4世妃)らをもうけた。
1291年にサンチョ4世は遠征を行い、タリファ(アンダルシア州)をムーア人から奪い、おじのドン・ペドロを捕らえた。1293年、アルカラ・デ・エナーレスにマドリード・コンプルテンセ大学の原型となる学術機関を創設した。
サンチョ4世は1295年にトレドで死去するが、その直前に王妃マリア・デ・モリナをまだ9歳だったフェルナンド4世の摂政に任じた。