グラード (イタリア)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

テンプレート:コムーネ グラードテンプレート:Lang-it)は、イタリア共和国フリウリ=ヴェネツィア・ジュリア州ゴリツィア県にある、人口約8400人の基礎自治体コムーネ)。ローマ時代にさかのぼる歴史を有する中心市街は、アドリア海北縁の潟湖(ラグーナ)に浮かぶ島に位置する。

名称

標準イタリア語以外の言語では以下の名を持つ。

地理

位置・広がり

ゴリツィア県南部に所在するコムーネである。潟湖上のグラードの街は、モンファルコーネから南西へ約18km、州都トリエステからトリエステ湾を隔てて西へ約30km、県都ゴリツィアから南西へ約34km、ウーディネから南南東へ約45km、ヴェネツィアから東へ約85kmの距離にある。

自治体(コムーネ)としてのグラードは、潟湖上の多くの島々や、本土を含んでおり、広大な範囲にわたっている。グラード潟上の島々のほとんどは無人島である。

隣接コムーネ

隣接するコムーネは以下の通り。UDはウーディネ県を示す。

地勢

中心市街はアドリア海ヴェネツィア湾)北縁の潟湖(ラグーナ)・グラード潟テンプレート:Enlinkの周辺に浮かぶ島、イーゾラ・ドーロIsola d'oro)にある。潟湖上の島という立地条件はヴェネツィアと似ている。

著名な島としては、潟湖東部に位置して教会が建てられ聖地とされているバルナバ島テンプレート:Enlinkが挙げられる。

主要な集落

グラードGrado)の中心市街は、イーゾラ・ドーロの潟湖側に発達した都市である。グラード=ピネータGrado-Pineta)はイーゾラ・ドーロのアドリア海側の町である。

本土側にもいくつかの小集落があり、そのうちで最も大きいものがフォッサロン・ディ・グラードFossalon di Grado)である。

歴史

古代

ファイル:Grado chiesa.jpg
サンテウフェミア聖堂

町の歴史は古く、ローマ時代には、Aquae Gradatae の名で知られた。この地方の中心都市であったアクイレイアは、潟湖を挟んで10km北にあり、グラードはその外港としてアクイレイアと密接な関係を持っていた。

西ローマ帝国の末年、異民族の侵入にさらされると、多くの人々が安全な場所を求めてアクイレイアからグラードへ逃れてきた。452年にはアクイレイア司教テンプレート:Enlinkのニケタステンプレート:Enlinkがグラードに一時逃れて来ている。5世紀頃には、サンタマリア・デッレ・グラツィエ聖堂や、サンテウフェミア聖堂が建てられた。また、この町はアクイレイア総大司教国の海軍の拠点となった。

中世

568年、ランゴバルド人の侵入を受け、アクイレイア総大司教パウリヌスはグラードに遷座した。

その後、この地方を管轄する教会は分裂し、二人の総大司教が並び立つことになる。アクイレイアの総大司教と、ヴェネツィア潟やグラードなど沿岸地方のラテン人を基盤とするグラードの総大司教テンプレート:Enlink(のちにチヴィダーレに移転)である。990年、アクイレイア総大司教ポッポーネテンプレート:Enlinkがグラードを占領したが、これを維持することは出来なかった。1027年、教皇がグラードとヴェネツィア地方におけるアクイレイア大司教の優越した地位を確認することで、事態は収拾された。

1451年、教皇ニコラウス5世によって、総大司教座はグラードからヴェネツィアに移された。これにより、グラードは小さな町へと転落した。

近代

グラードは、ナポレオン戦争中の1810年にイギリスに、1812年にフランスによって占領され、そのたびに略奪を受けた。1815年にオーストリア領になった。

第一次世界大戦休戦後の1918年、この地はイタリア王国の手にわたり、1920年に正式にイタリアの領土となった。

社会

産業・経済

かつてはアドリア海の漁業の拠点のひとつであった。また温泉があり、湯治場・観光地としても知られている。

人口

人口推移

テンプレート:歴史的人口 <timeline> Colors=

 id:lightgrey value:gray(0.9)
 id:darkgrey  value:gray(0.7)
 id:sfondo value:rgb(1,1,1)
 id:barra value:rgb(0.6,0.7,0.8)

ImageSize = width:475 height:373 PlotArea = left:50 bottom:50 top:30 right:30 DateFormat = x.y Period = from:0 till:12000 TimeAxis = orientation:vertical AlignBars = justify ScaleMajor = gridcolor:darkgrey increment:2000 start:0 ScaleMinor = gridcolor:lightgrey increment:500 start:0 BackgroundColors = canvas:sfondo

BarData=

 bar:1861 text:1861
 bar:1871 text:1871
 bar:1881 text:1881
 bar:1901 text:1901
 bar:1911 text:1911
 bar:1921 text:1921
 bar:1931 text:1931
 bar:1936 text:1936
 bar:1951 text:1951
 bar:1961 text:1961
 bar:1971 text:1971
 bar:1981 text:1981
 bar:1991 text:1991
 bar:2001 text:2001
 bar:2011 text:2011

PlotData=

 color:barra width:20 align:left
 bar:1861 from:0 till:0
 bar:1871 from:0 till:0
 bar:1881 from:0 till:0
 bar:1901 from:0 till:0
 bar:1911 from:0 till:0
 bar:1921 from:0 till:5357
 bar:1931 from:0 till:5896
 bar:1936 from:0 till:6005
 bar:1951 from:0 till:8733
 bar:1961 from:0 till:9666
 bar:1971 from:0 till:10043
 bar:1981 from:0 till:9808
 bar:1991 from:0 till:9073
 bar:2001 from:0 till:8728
 bar:2011 from:0 till:8462

PlotData=

 bar:1861 at: 0 fontsize:S text:n.d. shift:(-8,5)
 bar:1871 at: 0 fontsize:S text:n.d. shift:(-10,5)
 bar:1881 at: 0 fontsize:S text:n.d. shift:(-10,5)
 bar:1901 at: 0 fontsize:S text:n.d. shift:(-10,5)
 bar:1911 at: 0 fontsize:S text:n.d. shift:(-10,5)
 bar:1921 at: 5357 fontsize:S text:5,357 shift:(-10,5)
 bar:1971 at: 10043 fontsize:S text:10,043 shift:(-10,5)
 bar:2011 at: 8462 fontsize:S text:8,462 shift:(-10,5)

TextData=

 fontsize:S pos:(20,20)
 text:fonte ISTAT - elaborazione grafica a cura di Wikipedia

</timeline>

居住地区別人口

国立統計研究所(ISTAT)は居住地区(Località abitata)別の人口として以下を掲げている[1]。統計は2001年時点。

地区名 標高 人口 備考
GRADO 0/2 8,728 海上の島嶼を含むコムーネ
FOSSALON DI GRADO 1 103
GRADO * 2 7,014
GRADO-PINETA 2 603
Fossalon-Via Valle 13-20 2 27
Fossalon-Via Valle 9-16 2 34
Villaggio Primero 2 86
Villaggio Punta Sdobba 2 4 宅地造成中の地区のため人口は安定したものではない
Case Sparse - 847
Barancole 0/1 - マラーノ・ラグナーレとの境界未画定
Isola Ara Storta 0/1 - 海上の島
Isola dei Busiari 0/1 - 海上の島
Isola del Lovo 0/2 - 海上の島
Isola Marina dei Manzi 0/2 - 海上の島
Isola Marina di Macia 0/2 - 海上の島
Isola Montaron 0/2 - 海上の島
Isola Morgo 0/2 3 海上の島
Case Sparse - 3
Isola Pampagnola 0/2 - 海上の島
Isola San Pietro d'Orio 0/1 - 海上の島
Isola Santuario di Barbana 0/2 7 海上の島
Santuario di Barbana - 7 修道院
Isola Villanova 0/2 - 海上の島
Isola Volpera 0/2 - 海上の島
Isole Canale Mee Strettolo 0/1 - 海上の島
Isole Casoni Bacansentinella 0/1 - 海上の島
Laccia 0/1 - マラーノ・ラグナーレとの境界未画定
Laguna di Grado 0/1 - 潟湖
Massion 0/2 - 海上の島
Ravaiarina 0/2 - 海上の島
Terra Emersa Valle del Moro 0/2 - 海上の島

  • ISTATは人口統計上、家屋密度の高い centro abitato (居住の中心地区)、密度の低い nucleo abitato (居住の核となる地区)、まとまった居住地区を形成していない case sparse (散在家屋)の区分を用いている。上の表で地名がすべて大文字で示されているものが centro abitato である。「*」印が付されているのは、コムーネの役場・役所 la casa comunale の置かれている地区である。

文化・観光

5世紀頃に建設された。
4~5世紀に建てられた。6世紀に改修され、1640年にはバロック様式で修復された。
潟湖上の小さな島。教会が建てられ、聖地となっている。

姉妹都市

人物

おもな出身者

脚注

テンプレート:Reflist

外部リンク

テンプレート:Commons&cat

テンプレート:Geographic Location

テンプレート:ゴリツィア県
  1. 引用エラー: 無効な <ref> タグです。 「istat2001」という名前の引用句に対するテキストが指定されていません