キング・ジョージ5世 (戦艦)
1945年に撮影された「キングジョージ5世」。 | |
艦歴 | |
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建造 | ヴィッカース・アームストロング社 |
起工 | 1937年1月1日 |
進水 | 1939年2月21日 |
就役 | 1940年12月11日 |
退役 | 1949年 |
その後 | スクラップとして売却 |
除籍 | 1957年 |
性能諸元 | |
排水量 | 基準:36,772t 満載:44,460t |
全長 | 227.2m |
全幅 | 31.4m |
吃水 | 10.8m |
機関 | 蒸気タービン4基4軸 125,000馬力 |
最大速 | 28ノット |
航続距離 | 4,750カイリ(18ノット時) 7,000カイリ(10ノット時) |
乗員 | 1,631名 |
兵装 | 竣工時: 35.6cm4連装砲塔2基 同連装砲塔1基 13.3cm連装両用砲8基 40mm8連装ポンポン砲4基 カタパルト1基 17.8cm20連装UP発射機4基 ~1945年: 35.6cm4連装砲塔2基 同連装砲塔1基 13.3cm連装両用砲8基 40mmポンポン砲8基 40mm4連装機銃2基 40mm単装機銃2基 20mm連装機銃6基 20mm単装機銃24基 航空兵装無し |
レーダー | 竣工時: 279型 2基 (対空警戒) 284型 1基 (射撃管制) ~1945年: 271型 1基 (水上警戒) 274型 1基 277型 1基 (水上・対空警戒両用) 279B型 1基 (対空警戒) 282型 2基 285型 4基 (対空射撃管制) 293型 1基 |
キング・ジョージ5世 (HMS King George V) は、イギリス海軍の戦艦。キング・ジョージ5世級のネームシップ。ニューカッスル・アポン・タインに所在したヴィッカース・アームストロングのウォーカー造船所で建造された[1]。ワシントン条約に縛られた設計の為に性能で列強海軍の戦艦よりも大きく見劣り(それでも敵国主力艦を圧倒していた)[2]し、ウィンストン・チャーチルをして「われわれは戦艦のような物で今大戦を戦った」と言わしめてしまった艦である。
艦名の由来
イギリス海軍では、国王が新たに即位した直後に完成した戦艦に新国王の名を冠する慣例があったテンプレート:要出典。本艦の計画時にジョージ6世が即位したので、慣例によればキング・ジョージVI世と命名されるはずであったが、新国王の希望により父王の名前が冠された。このため本艦はキング・ジョージ5世の2代目である。
慣例通りに命名された先代戦艦キング・ジョージ5世は、1912年完成の超弩級戦艦(23,000t、34.3cm砲10門)。
特徴
2本煙突。主砲塔は前部に2基(4連装+連装)、後部に1基(4連装)備えた特徴的な配置であり、本級以外に他に例は無い。元来は4連装砲塔3基を搭載予定であったが、防御力に問題があったために、装甲防御を増やした分の重量を減らすため、1基を連装で妥協した結果である。
結果として防御力に非常に重点をおいた艦となった。
攻撃力
主砲として35.6cm砲を採用、これを4連装砲塔2基、連装砲塔1基に収めた。副砲は対空・対水上両方に使用可能な13.3cm連装両用砲を8基搭載し4基ずつ背負い式に両舷に配置した。また近接砲火として40mm8連装ポンポン砲を多数装備した。
本級の4連装主砲塔は砲塔重量の軽減を目的に採用された。多連装砲は構造が複雑になり整備や運用に技術が必要とされる。ドイツ戦艦ビスマルクの追撃戦において、竣工早々の姉妹艦プリンス・オブ・ウェールズは、ビスマルクに命中弾を与えたものの、主砲に故障が続発し、満足な砲撃ができず(ドイツ艦隊からの砲撃により損害を受けた為もあり)戦闘を中止せざるを得なかった[3]。本艦も、ビスマルクとの戦闘において主砲の故障が発生している[4]。
副砲として両用砲を採用したのは、米国戦艦とイギリス戦艦とフランス戦艦のみであった。これは重量軽減と言う観点からは合理的な設計と言え、日本の大和は完成後に増大する航空脅威に対して副砲を減らして対空砲を強化しているほどである。
しかし英国の13.3cm両用砲は手動装填で発射速度が遅く、対空戦闘には不向きであったと言われている。
なお、同時期にヨーロッパで建造された独仏伊の戦艦は、副砲と高角砲を別個に装備しており、対空戦闘時の発射速度や対艦戦闘時の威力についての問題は出ていない。
防御力
砲弾に対する防御力は優秀、装甲厚さ水線部381mm・甲板180mm(31mm+149mm)は同時期のドイツのビスマルク級(320mm・120mm)、アメリカのノースカロライナ級(305mm・140mm)級より重厚だが装甲配置が簡素で同世代艦よりも効果は薄いとされている。
航空艤装
前部煙突の両脇に航空機格納庫を設け、後部煙突との間の甲板上に横向きにカタパルトを設置し、風向きによってどちらも射出可能とした。
しかし航空母艦勢力の整備拡張により、わざわざ水上機をカタパルトで打ち出し回収する必要がなくなったことと、ドイツ海軍水上艦の活動が沈静化がしたことから対空火器を増設するため、キングジョージ5世級の艤装工事の実施が決まり、本艦は1944年3月から約三ヶ月をかけて行われた。
12.7mm機関銃や対空ロケットに代わり、40mm四連装・単装機関銃、20mm連装・単装機関銃を増設し、ウォーラス飛行艇やカタパルト、クレーンなどの航空設備は撤去され、代わりにボートが増備された。
艦歴
テンプレート:要出典範囲。1939年2月21日進水。1940年12月11日竣工。英国本国艦隊の旗艦となる。
1941年、「キング・ジョージ5世」は、ジョン・トーヴィー本国艦隊司令長官が坐乗して、ビスマルク追撃戦に参加、ブレスト沖でソードフィッシュの雷撃により行動不能となっていたビスマルクを、戦艦ロドネイと協力して砲撃した。両艦の砲撃により戦闘力の無くなったビスマルクは、その後巡洋艦、駆逐艦から多数の魚雷を受け沈没。
1942年5月1日、ムルマンスクへ向かうPQ15船団の護衛中に駆逐艦「パンジャビ」に追突。「パンジャビ」は大破沈没し「キング・ジョージ5世」も損傷した。
1944年、イギリス太平洋艦隊に配属され、日本の降伏(1945年)まで太平洋で活躍。
1945年7月18日、日立の日立製作所の工場を艦砲射撃。7月29日-30日、浜松の日本楽器(ヤマハ)の工場を砲撃。 大戦終了後は、除籍されスクラップにされた。
主な活動
ビスマルク追撃作戦
大西洋船団護衛
北洋船団護衛
南イタリア上陸
沖縄攻略
日本本土上陸予備作戦など
ギャラリー
- HMS King George V midships SLV Green.jpg
- The Royal Navy during the Second World War A21853.jpg
- Commander in Chief Home Fleet, Admiral Sir John Tovey on Board HMS King George V, November 1942 TR388.jpg
キング・ジョージ5世座乗のジョン・トーヴィー提督(1942年)
- Commander in Chief Home Fleet, Admiral Sir John Tovey on Board HMS King George V, November 1942 TR384.jpg
同左
- Winston Churchill with the Lord Privy Seal, Sir Stafford Cripps, and the Commander-in-Chief Home Fleet, Admiral Sir John Tovey, on the quarterdeck of HMS KING GEORGE V at Scapa Flow, 11 October 1942. TR210.jpg
左から、トーヴィー提督、チャーチル首相、クリップス王璽尚書(1942年)
- On Board a Battleship, November 1942 TR315.jpg
艦上の軍楽隊長(1942年)
- On Board a Battleship, November 1942 TR311.jpg
艦上の軍楽隊(1942年)
同型艦
脚注
参考文献
- 世界の艦船増刊第67集