エウゲニウス3世 (ローマ教皇)
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エウゲニウス3世(Eugenius III、生年不明 - 1153年7月8日)は、第2回十字軍を呼びかけたローマ教皇(在位1145年 - 1153年)[1][2]。
イタリアのピサ近郊出身と見られ[1]、シトー会のテンプレート:仮リンクに入り、クレルヴォーのベルナルドゥスのもとで修行した[3]。のちにローマ近郊のシトー会修道院の院長をへて、クレルヴォーのベルナルドゥスの影響力によって初のシトー会出身のローマ教皇となった。しかし、まもなく反対派のテンプレート:仮リンクに率いられた市民の反乱によってローマを追放され、その在位期間のほとんどを各地に滞在して過ごすことになるが、1148年にアルノルドを破門した結果、アルノルドは処刑台送りとなり勝利した[4]。
十字軍国家のエデッサ伯領が失われたことをフランスで聞き、1145年12月、ルイ7世に教皇勅書を送り、十字軍を呼びかけた[5][6]。クレルヴォーのベルナルドゥスの勧誘演説により、国王2人を含む多くの参加者を得たが、ほとんど成果を挙げられず大失敗に終わった。
1153年7月8日に避暑のため滞在していたティヴォリで死去、ローマ(現在はバチカン市国)のサン・ピエトロ大聖堂に埋葬された。ちなみにクレルヴォーのベルナルドゥスもひと月ほど後の8月20日に死去した。[1]
世界遺産との関連
世界遺産として1981年に認定されたフォントネーのシトー会修道院の教会堂を献堂したことでも知られるが、これは上記放浪中の1147年のことであった[3][7]。また、1990年に登録されたサン・ジミニャーノ歴史地区にあるテンプレート:仮リンクはエウゲニウス3世による建設である[8]。