星条旗 (国歌)
星条旗(英語 : The Star-Spangled Banner)は、アメリカ合衆国の国歌。歌詞は、1814年9月に当時35歳の詩人・弁護士のフランシス・スコット・キーによって書かれた。
歴史
1812年に始まった米英戦争のさなかの1814年9月、ボルティモア(メリーランド州)のマクヘンリー砦での事である。フランシス・スコット・キーは、捕虜として捕えられた友人の釈放交渉のために英国の軍艦に乗り込んだ。英国側の司令官は、最終的にはキーもその友人も解放することに同意した。しかし機密保持のため、英国艦隊が砦を砲撃する間、2人は軍艦内で抑留される事となった。激しい夜間砲撃の後、9月14日[1]の夜明けを迎えたキーらは曙光の中で(“by the dawn’s early light”)、砦の上に星条旗(その当時は星15個、縞15本)が聳えるのを目にする。
激しい砲撃にも砦が死守された事に感銘を受けたキーは、直ぐさま「マクヘンリー砦の防衛」という詩の着想を得、持参していた手紙の裏に書き留める。2日後、ボルチモア市街に友人達と無事に戻った16日の夜、インディアン・クイーン・ホテル(Indian Queen Hotel)で推敲し、4節の詩に体裁を整え、複写を作成し、翌17日に周囲に披露した[2]。この詩はさらに、当時人気のあった酒飲み歌「天国のアナクレオンへ」のメロディに合わせてアレンジされ、同年10月14日にボルチモアのホリデー・ストリート・シアター(Holliday Street Theatre)で歌曲として初披露された後、“The Star-Spangled Banner”(「星条旗」)として出版された[2]。曲の「天国のアナクレオンへ」は、イギリスの作曲家ジョン・スタッフォード・スミスによって1780年に書かれ、英米で人気を得た曲である。アナクレオンは古代ギリシアの詩人で、恋愛や酒を題材にした詩を書いた人物。同じメロディが、ルクセンブルクの国歌に使われたこともある。
その後、ハーバート・フーヴァー大統領時の1931年3月3日、キー作詞の「星条旗」がアメリカ合衆国の国歌として正式に採用された。それ以前はMy Country, 'Tis of Theeが国歌であった。
ロシアの作曲家ラフマニノフはこの曲をピアノ用に編曲した。ロック・ギタリストのジミ・ヘンドリックスは、この曲を度々エレクトリック・ギターのソロで演奏し、特に1969年のウッドストック・フェスティバルでの演奏は有名である。(映画『ウッドストック/愛と平和と音楽の三日間』、アルバム『ライヴ・アット・ウッドストック』等で聴ける)
なお、曲名を「星条旗よ永遠なれ」とする例が間々あるが、「星条旗よ永遠なれ (Stars and Stripes Forever)」は作曲家ジョン・フィリップ・スーザによる行進曲であり、全く別の曲である。こちらは、1987年12月にアメリカ合衆国の「国の行進曲 (National March)」と制定された。
歌詞
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メディアファイル
音声
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動画
以前の国歌
- 初代 - コロンビアを呼ぶ
- 2代目 - My Country, 'Tis of Thee
関連項目
- 星条旗
- ゴッド・ブレス・アメリカ
- ヨハン・シュトラウス2世(自作の『祝典ワルツ(Jubilee Waltz)』、ワルツ『アメリカへの挨拶(Greeting to America)』『さらばアメリカ(Farewell to America)』にメロディを引用している)
脚注
外部リンク
- Star-Spangled Banner - American Treasures of the Library of Congress (手書きの歌詞や譜を掲載)
- Day of Horror - Day of Horror MP3ファイル(演奏のみ)
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