ムジャーヒディーン
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ムジャーヒディーン(مجاهدين mujāhidīn)とは、アラビア語で「ジハードを遂行する者」を意味するムジャーヒド(مجاهد mujāhid)の複数形。一般的には、イスラーム教の大義にのっとったジハードに参加する戦士たちのことを指す。最近はイスラーム教による連携した民兵を指すことが多い。
- 中世
- 近代
- 19世紀
- en:Bosnian mujahideen および ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争
- カシミール紛争
- en:Iraqi insurgency
- en:Insurgency in the North Caucasus
- en:Arab Mujahideen in Chechnya
- en:Islamic insurgency in the Philippines
- ソマリア内戦
- ハラカト・アル・シャバブ・ムジャーヒディーン
- アル=カーイダ
- ターリバーン
- ムジャヒディン・ハルク - イランのイスラーム社会主義を掲げる反体制組織。
- ヒズブル・ムジャーヒディーン(カシミール、パキスタン)
- インディアン・ムジャーヒディーン(インド)
- アブ・サヤフ(フィリピン)
歴史
歴史的には、個々のムスリム(イスラーム教徒)たちがジハードに対する意識を常にもっていたわけではなく、むしろ近代に至ってイスラーム世界に対する侵略に対抗する民衆の抵抗運動において、ムジャーヒド意識が発揮されてきた。19世紀にインドで起こった対英ジハード「ムジャーヒディーン運動」は、その代表的なものである。
現代
現代のムジャヒディーンによる闘争・紛争
アフガニスタン紛争
テンプレート:See also アフガニスタンで1978年にアフガニスタン人民民主党による共産政権が成立すると、各地で組織された反政府ゲリラが蜂起した。彼らは自分たちの闘争をアフガニスタンのイスラームを防衛するジハードと位置付け、自らムジャーヒディーンと名乗った。代表的な組織にはブルハーヌッディーン・ラッバーニーが組織し、アフマド・シャー・マスードが軍事的に率いた「イスラーム協会」や、グルブッディーン・ヘクマティヤールが率いる「ヒズビ・イスラーミー(イスラーム党)」などがある。1979年にソビエト連邦軍が軍事介入すると、ムジャーヒディーンはこれにも対抗した。彼らはパキスタン軍統合情報局などからの支援を受け、ソ連軍に激しく抵抗した。アフガニスタンのムジャーヒディーンには、アフガニスタンのみならずイスラーム世界の各地から志願兵として若者が集まってきたが、その中心人物がアブドゥッラー・アッザームで、ウサーマ・ビン=ラーディンもその志願兵の1人だったということが知られている。
アメリカもCIAを通じてこのようなゲリラ組織に武器や装備を提供していた(サイクロン作戦)。尚、ムジャーヒディーンと言われる勢力には親ソ派もおり、人民ムジャーヒディーン(People's Mujahedin)がよく知られている。 ソ連軍の撤退以降、ムジャーヒディーン各派はアフガニスタンでの主導権をめぐり対立、軍閥化していった。後にパキスタン軍統合情報局が支援するターリバーンが台頭すると、ムジャーヒディーンの諸派は連合し北部同盟としてこれに対抗した。