阮忠彦
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テンプレート:ベトナムの人物 阮忠彦(げんちゅうげん、グエン・チュン・ガン、Nguyễn Trung Ngạn、1289年-1370年)は、ベトナム陳朝の政治家・学者。号を介軒・邦直。
16歳の若さで官吏登用試験に合格する。1324年、元からモンゴル人使者が訪問した際に、使者は横柄な態度を取って皇帝明宗の前に至っても下馬の礼を取らなかった。誰もが大国である元の使者に遠慮して押し黙っていたところ、阮忠彦だけが使者に対してその非礼を責めた。元の使者は忠彦の言葉に従って明宗に侘びを入れたという。その後、1329年に大規模な反乱が起きて太上皇(上皇)になっていた明宗自らが親征に向かった際には参謀の一人に任じられ、4年後のラオス人の侵寇に際しても戦功を挙げている。やがて京師大尹に任じられると、都の行政・治安の改善に尽くした。また、陳朝の法律・制度・礼制を纏めた『皇朝大典』の編纂の中心人物としても活躍して、最後は宰相格である「枢密院事」にまで昇進した。
著作に『介軒詩集』がある。