鈴木 重兼(すずき しげかね、天文9年(1540年)? - 天正17年(1589年)?)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての紀伊国の国人。鉄砲用兵集団雑賀衆頭目鈴木重意の嫡男。名は義方、良固とも。平井郷に居館を構え、別名平井 孫一(ひらい まごいち)とも呼ばれる。弟に鈴木重秀。甥、もしくは弟に鈴木重朝。鈴木孫一の経歴を構成する一人とも言われる。
主に政治面で重責を担い、求心力があり多くの人々に慕われていたらしい。しかし、生来病弱で弟たちに任せていたともいわれている。