紀元前445年
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テンプレート:Yearbox 紀元前445年は、ローマ暦の年である。当時は、「アウグリヌスとフィロが共和政ローマ執政官に就任した年」として知られていた(もしくは、それほど使われてはいないが、ローマ建国紀元309年)。紀年法として西暦(キリスト紀元)がヨーロッパで広く普及した中世時代初期以降、この年は紀元前445年と表記されるのが一般的となった。
できごと
ギリシア
- ペリクレスは、戦争が続く結果としてアテナイの人材が消耗していくことを懸念し、民会の支持を得て平和を画策した。アテナイの外交官カリアスはスパルタへ赴き、交渉を重ねた末、スパルタやペロポネソス同盟諸国との平和条約を整え、紀元前451年に結ばれた5年間の休戦は、さらに30年間延長された。この条約によってメガラはペロポネソス同盟側に返還され、トロイゼーンとアカイアは独立し、アイギナ島はアテナイの属領とされた上で自治を与えられ、紛争は仲裁によって解決されるものとされた。双方とも、それぞれ互いの同盟関係を尊重することに同意した。このテンプレート:仮リンクによって、紀元前460年以来続いていた第一次ペロポネソス戦争は終わった。
- アテナイ南方のスーニョン岬(Cape Sounion、テンプレート:Lang-grc)にポセイドーンの神殿が完成した。
ペルシア帝国
スーサでアルタクセルクセス1世の宮廷の酌取り (cup-bearer) であったユダヤ人ネヘミヤが、アルタクセルクセス1世の許しを得てユダヤの総督(知事)としてエルサレムへ戻り、エルサレムの一部の再建にあたった。(ネヘミヤ記 2:5–8)
共和政ローマ
新たにカヌレイア法 (Lex Canuleia) が制定され、プレブス(平民)とパトリキ(貴族)など、階級が異なる者の結婚禁止が廃された。
誕生
- アンティステネス - アテナイの哲学者(紀元前365年ころ没)