猛安・謀克
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猛安(もうあん)・謀克(ぼうこく)とは中国、金の支配民族女真族の社会組織・軍事組織のことである。女真の間に元来行われていた社会制度を元に、金の太祖阿骨打によって創始された。この制度を指して猛安・謀克制と呼ぶ。
猛安・謀克制は、兵士となることができる成年男子300人を含む300戸を謀克(ぼうこく、ムクンあるいはムケ)とし、10謀克を猛安(もうあん、ミンガン)として、女真族を編成する社会組織・軍事組織である。ミンガンは女真語で「千」を意味し、戦時には1謀克から100人の兵士が供出された。謀克は村長に統御され平時は共同で狩猟・交易・農耕を行う集団である女真族の自然集落を基盤とする集団であり、女真族固有の社会組織に由来するが、モンゴル帝国など北アジアの遊牧民族の間で広く行われた十進法軍事組織とも関係が深いと考えられる。
金が北宋を滅ぼして華北に進出すると、女真族も猛安・謀克の組織編成を保ったまま華北に移住させられ、屯田させられた。しかし漢地に入ると、漢民族に比べて農耕や商売の技術に劣る女真族は、積み重なる軍役のためもあって財産を漢族に借金の担保として取られて次第に困窮し、また『金史』を中心とした中国側諸史料によれば、彼らは漢文化の影響を受け元来の野性的な女真の武風を失っていったとされている。猛安・謀克が衰えたとされる世宗時代は確かに大の盛世とされるが、各地で反乱が相次いでいたのも事実であり、金朝の国勢と猛安・謀克制の関連付けにはなお不明な点が多い。