池田浩美 (サッカー選手)

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テンプレート:半保護 テンプレート:サッカー選手 池田 浩美(いけだ ひろみ、旧姓磯﨑(いそざき)、1975年12月22日 - )は、日本の元女子サッカー選手。現役時代のポジションはディフェンダー。

経歴・人物

埼玉県本庄市出身。本庄第一高等学校を卒業後、田崎ペルーレへ入団。ポジションはディフェンダー

小学校ではバレーボール、中学校では陸上競技をプレーしており、本格的にサッカーを始めたのが高校からということだが、これは女子サッカー選手としても遅咲きとして話題になった。

第7回日本女子サッカーリーグ1995年)で新人王に選ばれ、その後もベストイレブンを9度、敢闘賞を2度受賞している。

アテネオリンピックではゲームキャプテンとしてチームを率い、特にスウェーデン戦では荒川恵理子のゴールを生む起点となるフリーキックを放った。

2007年6月17日ひたちなか市総合運動公園陸上競技場茨城県)で開催された、なでしこリーグ第6節日テレ・ベレーザ戦でリーグ通算200試合出場を達成した。

同年には同じ職場の男性と結婚[1]。これにより2007 FIFA女子ワールドカップで招集のころから登録名が磯﨑(池田)浩美となり、翌2008年からは池田浩美となった。

改姓して最初の大会となった東アジア女子サッカー選手権2008に出場して優勝し、なでしこジャパン初タイトルに貢献した。

2008年のなでしこリーグでは自身10度目のベストイレブンに選出されたが、同年限りで所属チームのTASAKIペルーレFC休部(事実上の解散)が決まった事もあり、池田は「他チームに移籍してサッカーを続ける力が残っていない」[2]として12月の全日本女子選手権での準決勝を最後に現役を引退した[3]。引退後、第一子を出産した[4]

現在は尚美学園大学女子サッカー部の総監督を務めている。[5]

個人成績

テンプレート:節スタブ テンプレート:サッカー選手国内成績表 top テンプレート:サッカー選手国内成績表 th |- |1995||rowspan="9"|田崎ペルーレFC||rowspan=14|5||rowspan="9"| L・リーグ||18||0|||||||||||| |- |1996||18||0|||||||||||| |- |1997||18||1|||||||||||| |- |1998||18||1|||||||||||| |- |1999||14||1|||||||||||| |- |2000||13||3|||||||||||| |- |2001||14||5|||||||||||| |- |2002||10||1|||||||||||| |- |2003||19||3|||||||||||| |- |2004||rowspan="5"|TASAKIペルーレFC||rowspan="2"|L・リーグ1部(L1)||14||0|||||||||||| |- ||2005||21||0|||||||||||| |- |2006||rowspan="3"|なでしこリーグ
ディビジョン1||17||0|||||||||||| |-|||||||||||| |2007||21||0|||||||||||| |- ||2008||21||0|||||||||||| テンプレート:サッカー選手国内成績表 通算終236||15|||||||||||| |}

タイトル

なでしこジャパン

  • 代表通算 119試合[6] 4得点

著書

  • 『荒れ地に花は咲く―サッカーへたくそ少女、なでしこジャパンの飛躍を支える』(2009年 アートヴィレッジ ISBN 9784901053815)

備考

  1. 結婚式は「スタジアム婚」として神戸ウイングスタジアムで行った。
  2. 朝日新聞2009年1月16日付、「TASAKI休部 女子サッカー元代表主将の池田ら引退」[1]
  3. TASAKIペルーレFCにとっても最後の大会となった。
  4. 日本女子サッカーリーグ公式サイト2010年3月5日付、山郷のぞみのコラムより [2]
  5. 尚美学園大学 女子サッカー部
  6. 47news2008年12月28日付、「サッカーなでしこ主将池田が引退 北京五輪4強に貢献」[3]


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