宗形清氏
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テンプレート:出典の明記 宗形 清氏(むなかた の きようじ)は日本の皇族で、宗像大社(現在の福岡県宗像市)の初代大宮司。宇多天皇の皇子で官位は正三位中納言の後、延喜14年(914年)に宗像神社の宮司となる。光遠親王、宗像清氏、清氏親王とも。子孫は大宮司職を世襲する。子に宗形氏男など。 母は藤原継陰の娘又若子。
清氏ははじめ光遠親王といい、古代豪族の宗形千世が、難波氏を賜り宗像の地を去ると、宗像神社宮司に就任した際に宗形清氏と改名したとされる。出自について宇多天皇の末子とも、第4子とも、また弟という説があり、宮司就任が914年と天皇と同時代であることは窺える。
ただし、宗形清氏という人物が10世紀初頭にいたとしても、そのような人物が皇族であったわけではない。したがって宇多天皇の皇子で正三位中納言であったというのは全くの創作であり、論ずるに足りない。