古川組
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古川組(ふるかわぐみ)は、兵庫県尼崎市に本部を置く暴力団で、指定暴力団六代目山口組の二次団体[1]。
略歴
1976年、三代目山口組若頭補佐・大平一雄は、東亜友愛事業組合の仲本正弘・正秀兄弟を、大平組舎弟頭・古川真澄の養子とした。古川真澄は、沖縄県で琉真会を発足させた[2]。その後、山口組大平組上原組とともに旭琉会と第4次沖縄抗争を引き起こした。テンプレート:Main 1990年7月15日午前1時10分頃、大阪市淀川区十三の路上で、山口組古川組組員3人と山口組中嶋組組員7、8人が喧嘩になった。古川組組員が、拳銃で中島組組員を撃った、撃たれた中島組組員は、救急車で病院に搬送された。大阪府警捜査四課と淀川警察署の刑事が、中島組組員を淀川警察署に連行した[3]。
同日午前6時30分、2人組の男が、山口組古川組大島組幹部が宿泊していたホテル阪神の13階の1301号室のドアに向けて、銃弾7発を撃ち込んだ。大島組幹部は、右手首にかすり傷を負った。大阪府警は、中島組から古川組への報復だと断定した[4]。
同日、山口組の緊急最高幹部会が開かれ、中島利一と古川組責任者が呼び出された。渡辺芳則は、中島利一と古川組責任者を強く叱責した[5]。
歴代組長
琉真会
琉真会は古川組の下部団体で、指定暴力団・六代目山口組の三次団体。
出典
参考文献
テンプレート:六代目山口組- ↑ 1.0 1.1 『六代目山口組 完全データBOOK』メディアックス、2008年、ISBN 978-4-86201-328-6のP.4
- ↑ 溝口敦『撃滅 山口組vs一和会』講談社<講談社+α文庫>、2000年、ISBN 4-06-256445-9のP.204~P.205
- ↑ 飯干晃一『ネオ山口組の野望』角川書店<角川文庫>、1994年、ISBN 4-04-146436-6のP.50~P.51
- ↑ 飯干晃一『ネオ山口組の野望』角川書店<角川文庫>、1994年、ISBN 4-04-146436-6のP.52~P.53
- ↑ 飯干晃一『ネオ山口組の野望』角川書店<角川文庫>、1994年、ISBN 4-04-146436-6のP.55
- ↑ 『山口組 50の謎を追う』洋泉社、2004年、ISBN 4-89691-796-0のP.29