ランチア・デルタS4
テンプレート:Infobox 自動車のスペック表 ランチア・デルタS4 (Lancia Delta S4)は、イタリアの自動車会社ランチアが世界ラリー選手権(WRC)に参戦するために製造された車である。
概要
型式名はZLA038ARO。 デルタの名を持つが、シャーシは量販車のデルタと異なる専用設計である[1]。また型式名にランチアの800番台、フィアットの100番台でもないアバルトの開発コードSE038をそのまま使っていることも、ラリー専用車両であることを表している[2]。
エンジンは、フィアット製1,759ccの直列4気筒DOHCツインチャージドエンジン。これをリアミッドシップに縦置きした。過給機はターボチャージャーに加え低回転域ではスーパーチャージャーを使うツインチャージャーを採用している。このエンジンは最高出力456ps/8,000rpm、最大トルク46kgf·m/5,000rpmを発生し、1986年最終戦アクロポリスラリーでは600psを超えていた。パワーウエイトレシオは2kg/psを切り、そのパワーで890kgの軽量な車体を加速させた。ただしこの過剰なパワーがピーキーな挙動を生み、乗り手を選ぶ車ともなった。
駆動方式は、1985年当時では最新と言える、ビスカスカップリングによるフルタイム4WDを採用している。また初期のエボリューションモデルには、デフロックのためのレバーがある。しかし、グループB車両に対しての出力規制が甘かったため生まれたこのハイパワーモデルは、結果的に扱いの難しさからドライバーやコドライバーだけでなく、観客をも巻き込んだ死亡事故を誘発させた側面も持つ。
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S4 ストラダーレ
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S4 ストラダーレ
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S4 ストラダーレ (リア)
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S4 ストラダーレ (リアセクション)
主な戦歴・エピソード
- WRCでは1985年の最終戦RACラリーで、ヘンリ・トイヴォネンとマルク・アレンの1-2フィニッシュでデビューを飾る。
- 1986年は1月の開幕戦ラリー・モンテカルロで優勝。
- 1986年5月のツール・ド・コルスで、トップを快走していたヘンリ・トイヴォネンはSS18でコーナーにオーバースピードでコースアウトを喫し崖から転落。マシンは炎につつまれ彼はコ・ドライバーのセルジオ・クレストと共に帰らぬ人となった。
この事故を契機にワークス・チームの大事故が相次いでいたこともあり、危険すぎるとして、1986年シーズンをもってグループBを終了することが決定。 - 8月のラリー・アルゼンチンで優勝。ミキ・ビアシオンにとってはWRC初勝利。
- ランチアが1-2-3フィニッシュし、プジョーが「サイドスカート」によって失格とされた10月のラリー・サンレモが、12月の最終戦アクロポリスラリー後に、プジョーの抗議により選手権ポイント対象から除外される。これによりマルク・アレンのドライバーズ・タイトルとランチアのマニュファクチャラーズ・タイトルが共に消滅。
- 1985年も含め、通算成績は13戦中6勝、王座獲得ならず。デルタS4はランチアのワークスで参戦したラリーカーでは唯一タイトルの無い車両となる。
- WRCのグループB終了後はパイクスピークヒルクライム等においてプジョーやアウディ勢と参戦した。
- グループB終了のため撤回された上位カテゴリ・グループS用のマシンとして、S4の発展型である『ランチア・ECV(en:Lancia_ECV)(Experimental Composite Vehicle)』及び『ECV2』(アバルト開発コード041)とグルッポS(アバルト開発コード042)がある。『ランチア・ECV』は1986年のボローニャ・モーター・ショウで発表された後一旦は行方不明となるが、後に発見され、かつてのセミワークスチームであったヴォルタ・レーシングの手により修復されサンマリノで行われた2010年10月のイベント「ラリー・レジェンド」で走行している。『ECV2』は1988年にハイテク素材と空力改善のテストベッドとして発表されたのみ。ただし、これもイタリアに現存している。