メンマ

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東京ラーメンの中央部に載せられたメンマ。切り口が直角になった黄土色の角柱のように見える

メンマ麺麻、麺碼)は、シナチク支那竹)とも呼ばれ、タケノコ乳酸発酵させた加工食品である。これを味付けされた製品も、同様に呼ばれる事が多い。台湾嘉義県における伝統食材ともなっており、現地では乾筍(カンスン)と呼ばれる[1][2]

概要

中国や台湾では麻竹の加工食品は筍絲と呼ばれている。

現在はラーメンのトッピング以外に、のつまみとしても用いられており、炒めたりゴマを振りかけてたりキムチにあえたり多様化している。歴史的に中国文化の影響を強く受けた沖縄ではメンマよりもスンシー(筍絲)と呼ばれるのが一般的で、炒め煮のスンシーイリチーなどの惣菜として古くから食べられている。

名称

シナチクの語源は「支那竹」、つまり中国(支那)のの意で、戦前から関東地方を中心に「支那そば(東京ラーメン)」の定番具材となっていた。

メンマという名称は、丸松物産の前身にあたる貿易会社が旧来より台湾で製造した乾筍に「SHINACHIKU」と名称をつけて輸出販売していたところ、昭和20年代[3]台湾政府より「台湾産なのに、支那の竹とはどういうことか!」と抗議を受けた[4][5]。そして抗議を受け止めた丸松物産創業者の松村秋水が「SHINACHIKU」に変わる商品名として新たに「ラーメン(拉麺)の上にのせる麻竹でメンマ(麺麻)」を考案したのが始まりである[5][4][6]。商品名「麺麻」は、類似商標とされ商標登録が受理されず、商品の認知とともに一般名称となっていった[4]

1968年には桃屋から瓶詰の「味付メンマ」が発売[7]され、CMで盛んに宣伝されたことから広く浸透した。また、放送・出版物において「支那」という呼称の使用が自粛された影響もあって、シナチクも徐々にメンマと言い換えられるようになっていった。

こうした経緯により、現在の日本において年配者は主にシナチク、若年者はメンマと呼ぶ傾向がみられる。 同様に、近年誕生したラーメン店ではメンマ、古くから営業している食堂中華料理店ではシナチクあるいはタケノコと呼んでいることが多い。

台湾出身で食品会社社長の松村秋水は、メンマという言葉は戦後に自分が考案したと主張していた[6]。麺類に入れる麻竹であることからメンマ(麺麻)と名付けたということであるが、中国ではメンマを麺料理に用いることはなく、また麺碼という中国語はそれ以前から存在していることなどから発言の信憑性には疑問が残る。

日本

桃屋のメンマは、歴史の長い台湾産のタケノコを使用している[8]

流通

近年日本で流通しているのはほとんどが中国あるいは台湾からの輸入品であり、国産品はわずかな高級品とされている。発酵した麻竹を乾燥塩漬けしたもの、それを水で戻し塩抜きしたもの、さらにそれに味付けしてそのまま食べられるように調理した物などが業務用に流通している。一般的には長さ数センチ、太さ1センチ角程度に切りそろえられたものが多いが、用途によってさまざまな部位や形状のものがあり、先端の柔らかい部位は「穂先メンマ」などとも呼ばれている。家庭用には樹脂製の透明な袋にパック詰めされた物や瓶入りの製品が出回っている。

ラーメン

ラーメントッピングとしてよく用いられるが、ほとんどが味付メンマである。なお、中国や台湾において、日本でメンマと呼ばれる具材がラーメンに用いられることはなく、炸醤麺の具材の野菜類を菜碼(古くは麺碼)と呼ぶ。

脚注

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  1. テンプレート:Cite web
  2. テンプレート:Cite web
  3. 昭和20年代は1945年から1954年までで、1954年に台湾政府が成立している。
  4. 4.0 4.1 4.2 テンプレート:Cite journal
  5. 5.0 5.1 テンプレート:Cite news
  6. 6.0 6.1 テンプレート:Cite news
  7. テンプレート:Cite web
  8. 桃屋『甘くやわらかい台湾産竹の子』

関連事項

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