シャルンホルスト (装甲巡洋艦)
ファイル:SMS Scharnhorst by Arthur Renard.jpg | |
艦歴 | |
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発注: | 1904年 |
起工: | 1905年1月3日 |
進水: | 1906年3月22日 |
就役: | 1907年10月24日 |
退役: | |
その後: | 1914年12月8日に戦没 |
除籍: | |
性能諸元 | |
排水量: | 12,781 トン |
全長: | 144.6 m (474.7 ft) 143.8 m (472 ft)(水線長) |
全幅: | 21.6 m (71 ft) |
吃水: | 8.4 m (27 ft 6 in) |
機関: | |
最大速: | 22.7ノット |
兵員: | 764名 |
兵装: | 40口径21cm連装砲 2基 40口径21cm単装砲 4基 40口径15cm単装砲 6基 35口径8.8cm単装砲 18基 45cm水中魚雷発射管 4門 |
シャルンホルスト (SMS Scharnhorst) は、第一次世界大戦で活躍したドイツ海軍の装甲巡洋艦。シャルンホルスト級大型巡洋艦の一番艦。艦名はプロイセンの将軍ゲルハルト・フォン・シャルンホルストにちなむ。
艦歴
シャルンホルストは1905年1月3日にハンブルクのブローム・ウント・フォス社で起工、1907年10月24日竣工。
第一次世界大戦開戦時、「シャルンホルスト」はマクシミリアン・フォン・シュペー中将が指揮する東アジア巡洋艦戦隊の旗艦であった。この戦隊は装甲巡洋艦「シャルンホルスト」、「グナイゼナウ」、軽巡洋艦「ドレスデン」、「ニュルンベルク」、「ライプツィヒ」からなっていた。ただし、これらの艦艇は戦争勃発時には各地に散在していた。シャルンホルストはグナイゼナウとともに6月の終わりに青島から太平洋巡航に出発していた。だが、ヨーロッパでの情勢悪化により7月途中から2隻はポナペ島に留まり、そこで戦争の開始を迎えた。
8月6日、ニュルンベルクがポナペ島に到着した。同日、3隻の巡洋艦はポナペ島から出航し、8月11日にパガン島に到着した。8月12日にはエムデンもパガン島に到着した。8月14日、4隻の巡洋艦はパガン島を離れた。8月15日、エムデンが他の艦と別れインド洋へ向かった。
9月14日にはシャルンホルストはグナイゼナウとともにサモアのアピア沖に姿を現し、9月22日にはパペーテ砲撃を行いフランスの砲艦Zéléeを沈めた。この後ドイツ艦隊はマルケサス諸島ヌクヒバ島で補給を行い、10月12日にはイースター島でドレスデンと合流した。さらに10月14日にはライプツィヒも加わった。ドイツ艦隊は10月18日にイースター島を離れ、10月26日にファン・フェルナンデス諸島に到着した。
ドイツ艦隊は10月28日にファン・フェルナンデス諸島を出航した。10月31日に敵艦の存在を知り攻撃に向かったドイツ艦隊は1914年11月1日にチリのコロネル沖でイギリス艦隊と出会い、交戦した。このコロネル沖海戦で、ドイツ軍はイギリス装甲巡洋艦「グッドホープ」と「モンマス」を撃沈した。
1914年12月8日、「シャルンホルスト」以下5隻の巡洋艦はフォークランド諸島ポート・スタンリーの攻撃を試みたが、その前日に2隻の巡洋戦艦「インヴィンシブル」、「インフレキシブル」を含むダブトン・スターディー中将が指揮するイギリス艦隊が到着していたことは知らなかった。12月8日のフォークランド沖海戦で「シャルンホルスト」はイギリス巡洋戦艦の攻撃で沈没した。生存者はなし。また他の巡洋艦も「ドレスデン」を除いて各個撃沈された。
参考文献
- Paul G. Halpern, A Naval History of World War I, Naval Institute Press, 1999, ISBN 1-55750-352-4
- Geoffrey Bennett, Coronel and the Falkrands, Birlinn, 2000, ISBN 1-84158-045-7