コンテ・ディ・カブール (戦艦)

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艦歴
発注:
起工: 1910年
進水: 1911年
就役: 1915年
退役: 1928年5月18日
その後: 1943年に捕獲
除籍: 1947年
性能諸元
排水量: 建造時
基準:23,088トン 満載:25,086トン
改装後
基準:28,800トン 満載:29,100トン
全長: 建造時 168.9 - 176.1 m
改装後 168.9 - 186.4 m
全幅: 28 m
吃水: 建造時 9.4 m
改装後 10.4 m
機関: 建造時 20缶、4軸推進、31,000 hp
改装後 8缶、2軸推進、93,000 hp
最大速: 建造時 21.5 ノット (41 km/h)
改装後 28 ノット (53 km/h)
兵員: 建造時 1,000名
改装後 1,236名
兵装: 建造時:
13 × 305/46 mm
18 × 120/50 mm
16 × 76/50 mm
6 × 76/40 mm
3 × 450 mm 魚雷発射管
改装後:
10 × 320/44 mm
12 × 120/50 mm
8 × 100/47 mm
8 × 37/54 mm
12 × 20/65 mm

コンテ・ディ・カブール (Conte di Cavour) は、イタリア海軍コンテ・ディ・カブール級戦艦。艦名はイタリアの政治家カミッロ・カヴールに由来する。

艦歴

1910年起工。1911年進水。1915年に就役。第一次世界大戦第二次世界大戦に参加した。

就役後、差し迫ったオーストリア・ハンガリー帝国との戦争に備えてタラントに配備された。1915年5月24日の第一次世界大戦勃発時には、探検家としても知られるルイージ・アメデーオ・ディ・サヴォイア少将の旗艦になった。戦争中、敵と交戦することはなかった。

戦争後北アメリカへの宣伝航海をおこなった。その航海ではジブラルタルポンタ・デルガダファイアル島ハリファックスボストンニューポート、トプキンスビル、ニューヨークフィラデルフィアアナポリスハンプトンローズに寄航した。

1922年の夏、国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世がコンテ・ディ・カブールでイタリア領となったアドリア海沿岸の都市を訪れた。また、1925年4月にはベニート・ムッソリーニトリポリを訪れるのにも使用された。

1928年5月12日、タラントで武装解除された。1933年10月、コンテ・ディ・カブールは改装工事のためトリエステへ移された。1940年6月10日にコンテ・ディ・カブールは海軍に復帰し、1940年6月10日のイタリアの第二次世界大戦参戦時にはタラントにあった。

1940年7月9日、コンテ・ディ・カブールはカラブリア沖海戦に参加した。1940年11月11日のタラント空襲でコンテ・ディ・カブールはイギリス軍機の雷撃により沈没した。1941年終わりに引き揚げられトリエステで修理が開始されたがコンテ・ディ・カブールが復帰することはなかった。

1943年9月10日にドイツに捕獲されたが1945年2月15日のトリエステ爆撃で放棄された。1947年2月27日にスクラップとなった。

外部リンク


テンプレート:コンテ・ディ・カブール級戦艦

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