仏生山駅
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仏生山駅(ぶっしょうざんえき)は、香川県高松市仏生山町にある、高松琴平電気鉄道琴平線の駅。琴平線、長尾線車両の管理を担当する仏生山検車区・仏生山工場を併設する。
IruCa取り扱い窓口・IruCa定期券窓口がある。途中下車指定駅。
駅構造
相対式・頭端式2面3線のホームがある。ただし、頭端式の3番線は始発上り2列車(仏生山午前5時55分発築港行)以外の旅客乗降には使用されていない。
当駅の前後に留置線があり、高松築港方の留置線の先端には無蓋貨車13000形1310号(元国鉄トラ3131、1930年川崎車輌製)が20年以上(少なくとも最後に工場入場した1978年以降)全く動かず車籍だけがある状態で放置されている。ただ、2006年12月に仏生山工場で行われた撮影会で工場構内に移動したことがある。
のりば
- のりば
1 | テンプレート:Color琴平線 | 太田・栗林公園・瓦町・高松築港方面 | |
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2 | テンプレート:Color琴平線 | 空港通り・滝宮・琴電琴平方面 | |
3 | テンプレート:Color琴平線 | (高松築港方面・行き止まり構造) | 始発列車2本のみが発着する。 ただし、これらの列車が4両で運行する場合は、 ホーム有効長の都合により1番線に変更 |
駅本屋は2・3番線ホームの空港通り駅寄り頭端にある。 1番線ホームと駅本屋との間では構内踏切を二度渡る(本線上り下り、仏生山工場「北工場」への引込み線)。
利用状況
2001年の一日平均利用者数は3,887人[1]。これは長尾線列車が乗り入れる瓦町駅以北を除いた琴平線列車単独区間で最も多い。
付近のベッドタウン化が進行したり、フィーダーバスの運行によって、ラッシュ時の通勤・通学での利用が多い。特に利用の集中する平日朝8時台には琴電琴平発、滝宮発、一宮発の列車に当駅発の列車が加わり、高松築港駅に向けて1時間で最大6本もの列車が運転される。
駅周辺
- 香川県道12号三木国分寺線
- 香川県道166号岩崎高松線
- 香川県道280号高松香川線(旧塩江街道)
- 高松琴平電気鉄道仏生山工場
- 法然寺 - 山号「仏生山」であり、当駅名や地名の由来。
- 仏生山公園
- 平池 - 人柱伝説(いわざらこざら伝説)がある。
- 高松法務局人権擁護部 - 同地にあった高松南出張所は2009年5月に本局に統合され、2008年に本局から移転した人権擁護部のみが残る。
歴史
琴平電鉄の建設に当たっては、当初は琴平街道沿いのルートが予定されていたが、仏生山地区からの誘致運動により、仏生山経由に変更された経緯がある。
かつて、この駅からは塩江温泉鉄道が分岐していた。その名の通り香川県中南部にある塩江温泉への鉄道で、ガソリンカーを運行していた。1938年に高松琴平電気鉄道の前身である琴平電鉄に合併され、同社の塩江線となったが、折りしも日中戦争のさなか不要不急線とみなされ1941年に廃止されている。仏生山駅構内の同線の跡地には仏生山工場が建てられている。
- 1926年(大正15年)12月21日 琴平電鉄の駅として開業。
- 1929年(昭和4年)11月12日 塩江温泉鉄道(のちの塩江線)が開業。
- 1938年(昭和13年)7月6日 塩江温泉鉄道が琴平電鉄に合併され、琴平電鉄のみの駅となる。
- 1941年(昭和16年)5月10日 塩江線廃止。
- 1943年(昭和18年)11月1日 会社合併により高松琴平電気鉄道琴平線の駅となる。
その他
- 高松市近辺ではかつて俗に「仏生山の片頬焼け」ということが言われた。高松市中心部から見て仏生山は真南約8kmに当たるため、当地から高松市街へ歩いて通勤通学する人は行きも帰りも右頬を太陽に照らされ、右頬のみが焼けていたが、琴電開通によってそのようなことが無くなった、というものである。但しあくまで一種の笑い話のため、実際そうだったかどうかは定かでない。
- 当駅近辺に実家のあるシンガーソングライターmimikaが、当駅名を表題にした「仏生山駅」という曲を着うたフル配信限定でリリースしている。
隣の駅
- 高松琴平電気鉄道
- テンプレート:Color琴平線
参考文献
関連項目
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