寂光寺

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ファイル:本因坊3954.JPG
第一世本因坊算砂旧跡、京都市左京区仁王門通東大路西入南側寂光寺前

寂光寺(じゃっこうじ)は、京都府京都市左京区にある、顕本法華宗本山。山号は妙泉山。宏師寮法縁。

概要

日淵は室町近衛に久遠院を建立し、その後、京極二条に移し[1]、空中山寂光寺と称した。日淵は安土宗論に参加するが、敗者となった。その後、日淵は弟子の教育に力を注ぎ、名僧・日海を輩出し法華宗の発展に大きく寄与することとなった。日海は塔頭の本因坊に住み、後に本因坊算砂と号した。当時、碁技に優れ敵手無く、織田信長から名人と称揚された。以降、本因坊の名称は碁界家元の地位をもち、襲名継承される様になった。なお、本因坊道策の時に寂光寺から江戸に移った。近年、妙泉山寂光寺と改称した。

歴史

  • 1578年(天正6年)日淵は室町近衛に久遠院を建立する。
  • 1579年(天正7年)安土宗論に久遠院から日淵が臨む。
  • 1590年(天正18年)豊臣秀吉の命により、京極二条に移転する。
  • 1591年(天正19年)妙泉寺の寺内に移転合併し、空中山寂光寺と改称する。
  • 1708年(宝永5年)宝永の大火により焼失する。
  • 1708年(宝永5年)現在の地に移転し、再建する。

寺宝

  • 法華経八巻
  • 竹雁図
  • 四季図屏風
  • 初代算砂日海上人肖像画
  • 囲碁狂歌
  • 近衛関白公拝領碁盤
  • 碁器

その他

交通アクセス

脚注

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  1. 拾遺都名所図会