古在由直
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古在 由直(こざい よしなお、文久3年12月20日(1864年1月28日) - 昭和9年(1934年)6月18日)は、日本の農芸化学者。京都府出身。妻・豊子(筆名・清水紫琴)は自由民権運動の活動家で小説家、長男・由正は歴史家・幣原坦の次女・澄江と結婚し[1]、次男・由重はマルクス主義哲学者として知られている。天文学者の古在由秀は由正・澄江夫妻の長男(従って由直の嫡孫)にあたる[2]。
略歴
- 明治19年(1886年):駒場農学校(東京大学農学部の前身)を卒業[3]。
- 明治22年(1889年):東京農林学校教授に就任[3]。
- 明治23年(1890年):東京帝国大学農科大学助教授に就任[3]。
- 明治28年(1895年):ドイツのライプニッツ大学に留学[3]。
- 明治32年(1899年):農学博士[3]。
- 明治33年(1900年):東大農科大学教授に就任。
- 大正9年(1920年):東大総長に就任[3]。
- 大正14年(1925年):総長に再選[3]。
業績
- 足尾鉱毒事件の調査で銅による汚染を実証し[4]、農民の立場に立ち世論を喚起した。
- 日露戦争時は非常時農業対策に参画した。
- 東大総長任期中に起きた関東大震災で大きな被害に遭った大学の復興事業を先頭に立って実施した。
参考文献
- 『昭和人名事典 第4巻 外地・満支・海外篇』 日本図書センター、1987年10月5日、ISBN 4-8205-0696-X
- 交詢社 監修 『日本紳士録 第78版』 交詢社出版局 編集、ぎょうせい 発行、2004年4月5日