鎌田さゆり
テンプレート:政治家 鎌田 さゆり(かまた さゆり、1965年(昭和40年)1月8日 ‐ )は、日本の政治家。衆議院議員(2期)、仙台市議会議員(1期)を務めた。
概要
仙台市生まれ。宮城学院高等学校を経て、東北学院大学経済学部卒業。
1995年(平成7年)、仙台市議会議員選挙に当選し、1997年(平成9年)まで同市市議会議員(自由民主党会派所属)を務めた。1998年(平成10年)、自民党仙台市連合会の推薦を受けて、第18回参議院議員通常選挙に宮城県選挙区(定数2名)から立候補、期限付き地域振興券の発行など、新党平和や公明党に近い政策を訴えたが、同選挙区で3人目の自民党系候補であったこともあり、落選した。
衆議院議員
民主党に移籍し、2000年(平成12年)の総選挙で宮城2区から立候補し当選、衆議院議員に就任した。在任中には、静岡空港建設反対の国会議員署名活動で署名者に加わっている[1]。
2003年(平成15年)11月、第43回衆議院議員総選挙に宮城2区から立候補し、再選。しかし、選挙違反事件のため任期半ばで議員辞職した。しかし、翌12月、鎌田や今野東(宮城1区)への投票を呼び掛ける電話作戦をマーケティング会社に業務委託したとして、全日本電機・電子・情報関連産業労働組合連合会(電機連合)宮城地方協議会議長ら9人が、公職選挙法違反容疑で逮捕・起訴された[2]。これを受け、2004年12月24日に鎌田は議員辞職願を提出、自ら衆院議員を辞職した。なお、起訴された議長らは全員有罪が確定している。仙台高等検察庁は、5年間の同一選挙区からの鎌田の立候補禁止を求め提訴、2005年(平成17年)3月22日、裁判所は鎌田に、宮城2区からの立候補を5年間禁止とした。
仙台市長選挙
選挙違反事件の連座制適用のため宮城2区からの5年間の立候補禁止を命じた判決の後、2005年(平成17年)7月の仙台市長選挙に民主党を離党し、無所属で立候補した。民主党宮城県連は自主投票を決めたが、民主党からは党代表(当時)の鳩山由紀夫や鎌田と同期の国会議員数名が応援に駆けつけるなど、民主党内における、地方と中央のねじれを見せ付けるかたちとなった。同31日に行われた投票の結果、新人で元経済産業省職員の梅原克彦が当選し、鎌田は6万票近い差で落選。落選後の2006年(平成18年)、鎌田は「杜の都政治スクール」を設立、また、「仙台スピーチアカデミー」を設立した。
衆院選に3度目の立候補
2012年(平成24年)12月、第46回衆議院議員総選挙に民主党公認で宮城6区から立候補したが、小野寺五典に敗れ、比例復活ならず落選。
政策
- 選択的夫婦別姓制度に賛同。2000年には、鎌田ら超党派女性国会議員50名が、夫婦別姓選択制を求めて内閣総理大臣(当時)の森喜朗に申し入れを行った。申し入れでは、「とくに若い世代では、夫婦別姓選択制を望む声が高まっています。政府には、世論を喚起するなど、夫婦別姓選択制を導入するための努力を望む」としている[3]。
人物
脚注
外部リンク
- 鎌田さゆりのお喋り部屋 本人のブログ