1980年アメリカ合衆国大統領選挙
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1980年アメリカ合衆国大統領選挙(1980ねんアメリカがっしゅうこくだいとうりょうせんきょ、The U.S. presidential election of 1980)は、1980年11月4日に行われたアメリカ合衆国大統領選挙。現職の民主党ジミー・カーター大統領を、共和党のロナルド・レーガン候補が破って当選した。
予備選挙
共和党
候補者:
- ジョン・バヤール・アンダーソン - イリノイ州下院議員
- ハワード・ベーカー - テネシー州上院議員
- ジョージ・H・W・ブッシュ - 元CIA長官、共和党全国委員会議長
- ジョン・コナリー - 元テキサス州知事
- フィリップ・クレーン - イリノイ州下院議員
- ロバート・ドール - カンザス州上院議員
- ロナルド・レーガン - 元カリフォルニア州知事
選挙戦の序盤、党の推薦の候補は元CIA長官および共和党全国委員会議長のジョージ・ブッシュだった。しかしながら初期の討論でロナルド・レーガンが経済問題についてブッシュと議論し重要候補として出現した。また選挙戦の途中でアンダーソンが予備選挙を離脱、独立系候補として大統領選に出馬してしまう。
民主党
候補者:
- ジェリー・ブラウン - カリフォルニア州知事
- ジミー・カーター - 現職大統領
- エドワード・ケネディ - マサチューセッツ州上院議員
ジョン・F・ケネディ元大統領の弟のエドワード・ケネディは、1969年7月に起きた「チャパキディック事件」における倫理的責任と自己管理能力を問われ、カーターに敗れた。
本選挙
選挙戦ではイランアメリカ大使館人質事件や経済的な不況から現職のカーターが苦戦を強いられた。また、大統領選の公開討論ではカーターがアンダーソンとの公開討論を拒否、カーターとレーガン、レーガンとアンダーソンの間でのみ公開討論会が行われた。
結果
大統領候補 | 副大統領候補 | 政党 | 選挙人投票 (EV) | 一般投票 (PV) | |
---|---|---|---|---|---|
ロナルド・レーガン、カリフォルニア州 (当選) | ジョージ・H・W・ブッシュ、テキサス州 | 共和党 | 489 | 43,901,812 | 50.7% |
ジェームズ・E・カーター、ジョージア州 | ウォルター・モンデール、ミネソタ州 | 民主党 | 49 | 35,483,820 | 41.0% |
ジョン・バヤール・アンダーソン、イリノイ州 | パトリック・J・ルーセイ、ウィスコンシン州 | 独立候補 | 0 | 5,720,437 | 6.6% |
エド・クラーク | デヴィッド・コッホ | アメリカ自由党 | 0 | 921,299 | 1.1% |
バリー・コモナー | ラ・ドンナ・ハリス | アメリカ市民党 | 0 | 234,294 | 0.3% |
その他 | 0 | 253,559 | 0.3% | ||
合計 | 538 | 86,515,221 | 100.00 |