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遊佐 秀頼(ゆさ ひでより、生没年不詳)は、戦国時代の武将。能登畠山氏の家臣。遊佐秀盛の子。一説には遊佐続光の父と言われる。豊後守。
父の秀盛と共に守護の畠山義総に重用され、能登国の守護代を務めた。義総の死後は子の畠山義続・孫の畠山義綱に仕えた。同族(一説には子)の続光とともに1553年、畠山家中で権勢を誇っていた温井総貞と権力抗争を繰り広げ敗れ、翌年に大槻一宮合戦で敗北、捕虜となった。
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