茂山忠三郎
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茂山 忠三郎(しげやま ちゅうざぶろう)は、狂言大蔵流の名跡。当代で四世を数える。
初世
京都出身。八世・茂山千五郎の弟子でのちに大蔵虎文の弟子となる
目が不自由であった。
2世
京都小川上立売出身。本名は。初世の三男で最初の名を吉次郎。
3世
京都出身。本名は茂山良一。1900年「靱猿」の猿役で初舞台。1932年に茂山忠三郎襲名。
4世
茂山 忠三郎(しげやま ちゅうざぶろう、本名:茂山 倖一(しげやま こういち)、1928年4月3日 - 2011年8月20日[1])
京都市出身。(四世・茂山忠三郎倖一) 三世・茂山忠三郎の次男であり、父に師事した。1949年立命館大学専門部文学科卒業。1965年茂山忠三郎襲名。
日本能楽会会員(重要無形文化財総合指定)。「忠三郎狂言会」主宰。
1933年に、「業平餅」の立衆(稚児)で初舞台を踏む。1948年、「釣狐」披。1992年、舞台歴60周年記念公演を達成。2000年にはオーストラリア公演なども行う。
実子には茂山良暢、梅園紗千(宝塚歌劇団卒業生・85期生)がいる。
2011年8月20日、結腸がんのため京都市内で死去。83歳没[1]。
主な受賞歴
- 大阪府文化祭奨励賞(1960年)
- 文化庁芸術祭奨励賞(1966年)
- 文化庁芸術祭優秀賞(1974年・1978年)
- 大阪文化祭賞(1978年・1985年・1988年)
- 大阪文化祭金賞(1987年)
- 紫綬褒章受章(1992年)
- 第12回京都府文化賞功労賞(1994年)
- 文化庁芸術祭大賞(2001年)
- 旭日小綬章受章(2003年)
- 観世寿夫記念法政大学能楽賞(2004年)
- 京都府文化賞特別功労賞(2011年)