紀元前255年
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テンプレート:Yearbox 紀元前255年は、ローマ暦の年である。当時は、「マルクス・アエミリウス・パウッルスとセルウィウス・フルウィウス・パエティヌス・ノビリオルが共和政ローマ執政官に就任した年」として知られていた(もしくは、それほど使われてはいないが、ローマ建国紀元499年)。紀年法として西暦(キリスト紀元)がヨーロッパで広く普及した中世時代初期以降、この年は紀元前255年と表記されるのが一般的となった。
できごと
共和制ローマ
- カルタゴの南東64㎞のアディス近郊で、カルタゴ軍とマルクス・アティリウス・レグルスに率いられたローマ軍との間で、アディスの戦いが行われた。ローマ軍は大勝し、カルタゴ軍は和平を求めた。交渉の過程で、レグルスはカルタゴに無条件降伏とシチリア、コルシカ、サルディニアのローマへの譲渡、海軍の放棄、保障金の支払い、ローマに隷属する条約の締結を求めた。これらの条件は厳しいものであり、カルタゴの市民は戦争の継続を求めた。
- レグルスの要求に怒ったカルタゴ市民は、スパルタ人の傭兵Xanthippusを雇い、軍を再編した。Xanthippusに率いられた新生カルタゴ軍は、チュニスの戦いでローマ軍を破り、指揮官のレグルスを捕えた。レグルスの救出に向かったローマ軍の部隊は、シチリア沖の嵐で難破した。
エジプト
- 第二次シリア戦争で、プトレマイオス2世は、シリシア、パンフィリア、イオニアの領土を失い、アンディオコス2世は、ミレトスとエフェソスを奪回した。その後、アンティオコスとプトレマイオスの間で和平が結ばれ、アンティオコスはプトレマイオスの娘ベレニケと結婚した。
バクトリア
- セレウコス朝のサトラップであったディオドトス1世は、アンティオコス2世に対して反乱を起こし、グレコ・バクトリア王国を建国した。