紀元前168年
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
テンプレート:Yearbox 紀元前168年は、ローマ暦の年である。
出来事
ギリシア
- イリュリアの王ゲンティウスは、シュコドラでルキウス・アニキウス・ガルスの率いるローマの軍に敗れ、捕虜としてローマに連行され、グッビオに抑留された。この敗戦によって、イリュリアはマケドニア王国との同盟関係を失い、ローマとの戦いでペルセウスを弱体化させることができた。
- ローマの将軍ルキウス・アエミリウス・パウルス・マケドニクスが執政官に選ばれ、ペルセウスに捕えられたローマ軍を率いてテッサリアに到着した。
- 6月22日 - ピュドナの戦いでルキウス・アエミリウス・パウルスの率いるローマ軍がペルセウスの率いるマケドニア軍に勝利し、第三次マケドニア戦争が終結した。ペルセウスは捕えられ、残りの生涯をローマ近郊のアルバフーチェンスで捕虜として過ごすことになった。
- マケドニア王国はローマによって4つに分割され、マケドニアに協力した全てのギリシア人の街が罰せられた。ローマ軍は、歴史家ポリュビオスを含むマケドニアの名家から数百人を捕虜とした。
エジプト
セレウコス朝
- アンティオコス4世の軍はキプロスでの戦いに勝利し、知事は島を差し出した。
- アンティオコス4世はその後エジプトに再び侵攻し、下エジプトを占拠して軍はアレクサンドリア郊外に拠点を構えた。しかしローマの大使Gaius Popillius Laenasがそれに介入した。彼はアンティオコス4世に、エジプトとキプロスから即刻立ち退くよう最後通告を送った。不意を突かれたアンティオコスは検討する時間を求めたが、Popilliusは王の周りの地面に杖で円を描き、アンティオコスがこの円から出る前に明確な回答をするよう求めた。ローマとの戦争を恐れ、王は大使の要求に従うことを決めた。その見返りとして、ローマはアンティオコス4世がシリア南部を保有することを認めた。
- ヤソンはメネラウスにエルサレムの大司祭の座を譲り、アンティオコス4世はこれを自身の権力に対する侮辱と捉えた。
誕生
- ティベリウス・センプロニウス・グラックス、ローマの政治家(+ 紀元前133年)
死去
- カエキリウス・スタティウス、ローマの喜劇詩人(* 紀元前219年)
- 賈誼、前漢の政治家、詩人(* 紀元前200年)