プトレマイオス朝
テンプレート:古代エジプトの王朝 プトレマイオス朝は、古代エジプトのマケドニア系王朝(紀元前306年 - 紀元前30年)。アレクサンドロス3世(アレキサンダー大王)の死後、部下であったプトレマイオス(マケドニア出身のマケドニア人)が創始した。首都はアレクサンドリアに置かれ、アレクサンドリアは地中海屈指の大都市・ヘレニズム文化の中心として、以前と変わらぬ繁栄を続けた。
概要
プトレマイオス朝はエジプトの伝統を取り入れて血族結婚を繰り返したとされ、200年以上エジプトを支配しながらエジプト人の血が混じらずマケドニア人の血脈を保ったとされていたが、クレオパトラ7世の妹であるアルシノエ4世とされる骨の分析の結果、マケドニア系とアフリカ系の特徴を持っていたことが分かり、マケドニア人の血脈を保っていたという定説は覆った[1]。
代々「プトレマイオス」という名前を持った王が、姉・妹・叔母・姪などにあたる「ベレニケ」「アルシノエ」「クレオパトラ」という名前を持った女王と共同統治した。しかしプトレマイオス朝は一族内での殺し合いが頻繁に行なわれ、紀元前80年に同王朝の直系が断絶し、これに介入したローマにより、紀元前30年に滅ぼされた。
歴代プトレマイオス朝ファラオ
在位年が重複している箇所はすべて複数のファラオによる共同統治である。
ファラオ | 続柄・備考 | 在位 |
---|---|---|
プトレマイオス1世 | 前285年退位。 | 前305−前285年 |
ベレニケ1世 (女王) | プトレマイオス1世の后。 | ?−前285年 |
プトレマイオス2世 | 前288−前246年 | |
アルシノエ1世 (女王) | プトレマイオス2世の后。トラキア王リュシマコスの娘。 | 前284−前274年 |
アルシノエ2世 (女王) | プトレマイオス2世の后。 | 前277−前270年 |
プトレマイオス3世 | 前246−前222年 | |
ベレニケ2世 (女王) | プトレマイオス3世の后。キュレネ王マガスの娘。 | 前244−前222年 |
プトレマイオス4世 | 前222−前204年 | |
アルシノエ3世 (女王) | プトレマイオス4世の后。 | 前220−前204年 |
プトレマイオス5世 | 前204−前180年 | |
クレオパトラ1世 (女王) | プトレマイオス5世の后。シリア王アンティオコス3世の娘。 | 前193−前176年 |
プトレマイオス6世 | 前180−前164年 | |
クレオパトラ2世 (女王) | プトレマイオス6世の后。 | 前173−前164年 |
プトレマイオス8世 | 前171−前163年 | |
プトレマイオス6世 | 復位。 | 前163−前145年 |
クレオパトラ2世 (女王) | プトレマイオス8世の后、反乱軍を率いて夫を放逐し単独統治。 | 前163−前127年 |
プトレマイオス7世 | プトレマイオス6世の子。8世に殺害されたとされる。 | 前145−前144年 |
プトレマイオス8世 | 復位。 | 前145−前131年 |
クレオパトラ3世 (女王) | プトレマイオス8世の二番目の后 | 前142−前131年 |
プトレマイオス・メンフィティス | 母クレオパトラ2世により王とされるが、まもなくプトレマイオス8世により殺される。 | 前131年 |
プトレマイオス8世 | 復位。 | 前127−前116年 |
クレオパトラ3世 (女王) | プトレマイオス8世とともに復位。 | 前127−前107年 |
クレオパトラ2世 (女王) | プトレマイオス8世と復縁、プトレマイオス8世およびクレオパトラ3世と共同統治。 | 前124−前116年 |
プトレマイオス9世 | 前116−前110年 | |
クレオパトラ4世 (女王) | プトレマイオス9世の后、クレオパトラ3世により放逐。 | 前116−前115年 |
クレオパトラ5世セレネ (女王) | プトレマイオス9世の二番目の后、クレオパトラ3世により離婚。クレオパトラ5世と数えるかは異論あり。 | 前115−前107年 |
プトレマイオス10世 | クレオパトラ3世に擁立されるが、対立し廃位。 | 前110−前109年 |
プトレマイオス9世 | 復位。母クレオパトラ3世に廃位。 | 前109−前107年 |
プトレマイオス10世 | 復位。母クレオパトラ3世を暗殺し、ベレニケ3世と結婚。 | 前107−前88年 |
プトレマイオス9世 | プトレマイオス10世の死で復位。 | 前88−前81年 |
ベレニケ3世 (女王) | プトレマイオス11世と強制的に結婚させられ、19日後に殺される。 | 前81−前80年 |
プトレマイオス11世 | プトレマイオス10世の子、少年。ベレニケ3世殺害に怒った群衆により虐殺される。在位80日。 | 前80年 |
プトレマイオス12世 | プトレマイオス9世の子。 | 前80−前58年 |
クレオパトラ5世(6世) (女王) | プトレマイオス12世の后、ベレニケ4世の母。 | 前79−前57年 |
クレオパトラ6世 (女王) | プトレマイオス12世の子とされるが、5世と同一人物との説がある。 | ?−前57年 |
ベレニケ4世 (女王) | プトレマイオス12世の子。 | 前58−前55年 |
プトレマイオス12世 | 復位。 | 前55−前51年 |
クレオパトラ7世 (女王) | 一般にクレオパトラとして知られる女王。 | 前51−前30年 |
プトレマイオス13世 | クレオパトラ7世の弟 | 前51−前47年 |
アルシノエ4世 (女王) | クレオパトラ7世の妹、プトレマイオス13世の姉。 | 前48−前47年 |
プトレマイオス14世 | クレオパトラ7世とプトレマイオス13世の弟。 | 前47−前44年 |
プトレマイオス15世(カエサリオン) | クレオパトラ7世の子、父はユリウス・カエサル、3歳のときクレオパトラ7世が共同統治者に指名 | 前44−前30 |
系図
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脚注
- ↑ 2009年8月2日放送NHKスペシャル エジプト発掘 第3集「クレオパトラ 妹の墓が語る悲劇」にて取り上げられた