十二イマーム派
テンプレート:シーア派 十二イマーム派(じゅうにイマームは、英語:Twelver、アラビア語:اثنا عشرية、ペルシア語:شیعه دوازدهامامی)は、イスラム教シーア派の一派。イラン、イラク、アゼルバイジャン、レバノンなどに分布し、イランの国教でもある。
概要
シーア派諸派の中では最も信者の数が多い最大派であり、そのために外部の観察者からはシーア派の主流派と見られることも多く、日本では報道などで単に「シーア派」といった場合は十二イマーム派を指すことがほとんどである。 十二イマームという名前は、歴史上12人のイマーム(シーア派指導者)が現れたことによる。
十二イマーム派においては、シーア派指導者であるイマームの地位は、初代アリー(661年没)以降、十二代目までムハンマドの子孫によって継承された。そして十二代イマームの時、そのイマームが人々の前から姿を消した。これは言葉通りの意味ではなく、世界の内側もしくは存在の見えぬ次元に「隠れ」た、とする(9世紀おわりから10世紀初頭)。この「隠れ」(ガイバ)の状態は現在に至っても続いており、最終的には最後の審判の日にイマームは再臨すると信じられている。
イラン、アゼルバイジャンでは十二イマーム派が圧倒的多数を占め、現代のペルシア人、アゼリー人にとって十二イマーム派は民族アイデンティティーの一つとなっている。
影響・分派
「隠れ」に基づく十二イマーム派に特徴的な政治思想に、イマーム再臨までのあいだ不在のイマームの代理としてイスラム法学者が信者を指導できるとするものがある。20世紀にホメイニーの提唱した「法学者の統治論」とそれに基づくイラン・イスラーム革命では、この思想が精神的支柱となった。
血縁関係を重視する結果から、預言者ムハンマドの娘ファーティマの子が2代目3代目を継いだが、次第に血統が途絶えるなどし、(シーア派各分派)テンプレート:仮リンクは第五代、イスマーイール派は第七代のイマームを誰にあてるかで分派した。このほかに十二イマーム派の内部の学派に、18世紀にシャイフ・アフマド・アフサーイーが説いたシャイヒー派があり、19世紀にバーブ教、バハーイー教が生まれている。
十二イマーム派の認める歴代イマーム
- アリー
- ハサン
- フサイン - ウマイヤ朝軍とカルバラーで戦い敗死。
- アリー・ザイヌルアービディーン
- ムハンマド・バーキル
- ジャアファル・サーディク
- ムーサー・カーズィム
- アリー・リダー
- ムハンマド・ジャワード
- アリー・ハーディー
- ハサン・アスカリー
- ムハンマド・ムンタザル(マフディー) - 隠れイマーム
参考文献
- 桜井啓子『現代イラン 神の国の変貌』岩波新書
- 井筒俊彦『イスラーム文化 その根底にあるもの』岩波新書ur:اہل تشیع#اثنا عشری