紀元前225年
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テンプレート:Yearbox 紀元前225年は、ローマ暦の年である。当時は、「ルキウス・アエミリウス・パピリウスとガイウス・アティリウス・レグルスが共和政ローマ執政官に就任した年」として知られていた(もしくは、それほど使われてはいないが、ローマ建国紀元529年)。紀年法として西暦(キリスト紀元)がヨーロッパで広く普及した中世時代初期以降、この年は紀元前225年と表記されるのが一般的となった。
できごと
共和制ローマ
- ガリア・キサルピナ族の連合は、ガリア・ナルボネンシスからの大量の援軍によって強化され、イタリアを侵攻した。リミニでローマ軍を回避したガリア軍は、アペニン山脈を越えてエトルリアに入り、国を略奪した。
- この侵攻を受け、ローマはウェネティ族、パドヴァ族、ケノマニ族等に動員を呼びかけ、すぐに防衛軍を結成した。この軍は、執政官ルキウス・アエミリウス・パピリウスとガイウス・アティリウス・レグルスの指揮下に置かれた。モンテプルチャーノ近郊でのフィエゾレの戦いでローマ軍は多くの兵を失ったが、ガリア軍の裏をかくことに成功し、トスカーナの湾に追い詰めた。