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水野 重上(みずの しげたか、寛永11年11月1日(1634年12月20日) - 宝永4年3月1日(1707年4月3日))は、紀伊新宮藩の第3代当主。
第2代当主・水野重良の長男。母は水野忠元の娘。正室は飯山藩主・松平忠倶の養女(柏原藩主・織田信勝の娘)。養子に重期(新庄直恒の子)、重富(水野忠春の子)、重孟(弟)。田中定賢室となった養女が一人。官位は土佐守。
万治元年(1658年)9月25日、父の隠居により跡を継ぐ。宝永4年(1707年)3月1日に74歳で死去し、跡を養嗣子の重期が継いだ。法号は知徳院殿常応日応大居士。墓所は神奈川県鎌倉市の高松寺。
テンプレート:紀伊新宮藩主