バッファロー・ビルズ

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colspan="2" align="center" style="margin-left: inherit; font-size: 120%; background:#テンプレート:NFLColor;" | バッファロー・ビルズ
Buffalo Bills
1960年創設
永久欠番 12
colspan="2" align="center" style="vertical-align: middle; テンプレート:NFLColorCell2;" |所属地区

  • NFL(1970-現在)
  • AFC(1970-現在)
東地区(1970-現在)
東地区(1960-1969)
colspan="2" align="center" style="vertical-align: middle; テンプレート:NFLColorCell;" |ホームタウン
  • 本拠地

バッファロー(ニューヨーク州)

  • スタジアム

300px
ラルフ・ウィルソン・スタジアム

colspan="2" align="center" style="vertical-align: middle; テンプレート:NFLColorCell2;" | チームデザイン
  • チームカラー

テンプレート:Color box ネイビー
テンプレート:Color box
テンプレート:Color box
テンプレート:Color box

  • チームロゴ

突進するバッファロー

colspan="2" align="center" style="vertical-align: middle; テンプレート:NFLColorCell};" |獲得タイトル
  • リーグ・チャンピオン (2回)

1964,1965(共にAFL)

  • カンファレンス・チャンピオン (4回)

AFC:1990、1991、1992、1993

  • 地区優勝 (10回)

AFL東地区:1964、1965、1966
AFC東地区:1980、1988、1989、1990、1991、1993、1995

  • ワイルドカード (7回)

1963、1974、1981、1992、1996、1998、1999

colspan="2" align="center" style="vertical-align: middle; テンプレート:NFLColorCell2;" | 球団組織
オーナー: メアリー・ウィルソン
GM: バディ・ニックス
ヘッドコーチ: ダグ・マローン (2013- )

バッファロー・ビルズ (Buffalo Bills) は、ニューヨーク州バッファロー都市圏を本拠とし、オーチャードパーク (Orchard Park) の郊外にメインスタジアムを置くNFLチームである。AFC東地区に所属している。1990年から1993年に4年連続スーパーボウルに出場したが全て敗退した(第25回第26回第27回第28回)。愛称の由来は、本拠都市名バッファローと開拓期の著名人「バッファロー・ビル」を掛けた洒落。チアリーダー組織はバッファロー・ジルズと呼ばれている。

歴史

1960年から1985年まで

1960年に創設されて、アメリカン・フットボール・リーグ(AFL)のメンバーとなった。ディフェンスのチームとして知られて、1964年にはラッシングディフェンスで913ヤードしか許さなかった。これはリーグ記録である。またこのシーズンには50サックを記録してこれもチーム記録となっている。このときの1シーズンは14試合であったが13勝1敗で終了した。13勝という数字はAFL記録であった。ラッシングTDは4つしか許さず、翌年の1965年にかけて17試合連続でラッシングTDを許さなかった。チームは1964年、1965年、2年連続AFLで優勝した。また1966年もAFL EASTを制した。プレイオフには1963年から1966年まで4年連続出場しており、これはAFL唯一である。当時のQBは、ジャック・ケンプ[1]だった。

1969年、O・J・シンプソンをドラフトで獲得した。1970年にAFLがNFLに吸収されて、NFL東地区に所属することとなったが、1971年にはリーグ最低の1勝13敗に終わり、得点は最少の184点、失点は最多の394点となった。1973年にQBとしてジョー・ファーガソンが加入するとチーム状況は好転した。シンプソンは2,000ヤードラッシャーとなり、チームも1966年以来の勝ち越しを決めた。1974年にはチームはNFLに加入後初めてプレーオフに進出したが、スーパーボウルを制覇したピッツバーグ・スティーラーズに敗れた。その後チームは低迷して1977年のシーズン終了後にシンプソンはサンフランシスコ・フォーティナイナーズにトレードされた。

1975年11月17日、シンシナティ・ベンガルズとのマンデーナイトフットボールで、シンプソンが197ヤードを走ったが、相手QBケン・アンダーソンに、447ヤードを投げられて、24-33で敗れた[2]

1980年は、ビルズにとって特別な年となった。この年マイアミ・ドルフィンズに11年目で初勝利、AFC東地区優勝を決めた。1981年にもプレーオフに出場、1回戦は勝ち上がったが、2回戦でAFCチャンピオンとなったシンシナティ・ベンガルズに敗れた。翌1982年ストライキで短縮されたシーズンを4勝5敗で終えた。1983年のドラフトではジム・ケリーを指名したが彼はUSFLでプレイすることを選んだ。1984年は開幕から11連敗して2勝14敗[3]1985年も2勝14敗に終わった。

マーブ・リービーとジム・ケリーの時代

USFLが消滅した結果、ケリーは1986年にチームに入団した。この年のシーズン途中2勝7敗となった時点でチームはハンク・ブローフヘッドコーチを解任して[4]カンザスシティ・チーフスのヘッドコーチだったマーブ・リービーを起用した。アンドレ・リードブルース・スミス、優秀なオフェンシブラインマンでチームの戦力は充実してきていた。1988年にドラフトでサーマン・トーマスが加入、その後4年連続でAFC東地区優勝を果たした。

1988年は、最初の12試合で11勝し、第12週に地区優勝を決めて、12勝4敗で8年ぶりに地区優勝を遂げた。AFCチャンピオンシップゲームでシンシナティ・ベンガルズに10-2で敗れた[5]

1989年はブルース・スミスが契約でもめ、さらに薬物問題で出場停止処分も受けた。前半8試合を6勝2敗で折り返したが、シーズン後半の8試合で3勝5敗、シーズン5勝11敗のニューイングランド・ペイトリオッツ、3勝13敗のアトランタ・ファルコンズにも敗れた。最終週のニューヨーク・ジェッツ戦で37-0と圧勝したものの、クリーブランド・ブラウンズとのディビジョナルプレーオフでは、残り9秒にロニー・ハーモンがTDパスを落球、続くプレーで、ケリーのパスがクレイ・マシューズ・ジュニアがインターセプトされ、30-34で敗れた[5]

1990年からビルズはノーハドルオフェンスという新しいオフェンススタイルを生み出した。チームは13勝3敗でプレーオフに進出、そして初のスーパーボウル出場を決めて、ニューヨーク・ジャイアンツと対戦した。この試合はリーグ最多得点を誇るビルズとリーグ最少失点を誇るジャイアンツの対決となった。ジャイアンツはボールコントロールオフェンスに徹してビルズのオフェンス時間を減らす作戦に出た。またビル・パーセルズヘッドコーチと、ディフェンスコーディネーターのビル・ベリチックによって有効なディフェンスが取られた。残り8秒で19-20とリードされた状態で最後47ヤードのFGをスコット・ノーウッドに狙わせたがキックは大きく右に外れてしまった(Wide Right)。1991年は、13勝3敗でトーマスが最優秀オフェンスプレイヤーに選ばれた。この年もプレイオフを勝ち上がり、第26回スーパーボウルワシントン・レッドスキンズと対戦したが、前半終了時点で0-24とリードされ最終的にも24-37で敗れた。1992年は、マイアミ・ドルフィンズに地区優勝を明渡し、ケリーがレギュラーシーズンの最終戦で負傷してしまいプレーオフを控えQBのフランク・ライクで代わりに戦うこととなった。初戦でリーグ3位のディフェンスを誇るヒューストン・オイラーズと対戦したが3-35と大量リードされた後、NFL史上最も得点差をつけられた上での信じられない逆転勝利を果たした。テンプレート:Mainその後も敵地でスティーラーズ、ドルフィンズを破り3年連続スーパーボウル出場を決めた。しかし第27回スーパーボウルでは9回のターンオーバー(インターセプト4回、ファンブル5回)を喫してダラス・カウボーイズに17-52で敗れた。試合終了間際にビルズがファンブルしたボールをリカバーしたレオン・レットがボールを拾いタッチダウンする直前にパフォーマンスをしていたところ、ドン・ビービーが後ろから追いついてボールを掻き出して阻止しなければ、スーパーボウルワースト記録となる59失点をするところだった。1993年、2年ぶりに地区優勝を果たし、プレーオフを勝ち上がり史上初の4年連続スーパーボウル出場を果たした。第28回スーパーボウルでは2年連続、ダラス・カウボーイズと対戦、ハーフタイムでは13-6とリードしたが、後半トーマスがファンブルし、そのボールをリターンタッチダウンされるなどして13-30で逆転負けした。

1994年は、7勝9敗と負け越しプレーオフ出場を逃した。1995年、10勝6敗で地区優勝を果たしフレイオフに出場した。ドルフィンズを破った後、第30回スーパーボウルに出場したスティーラーズに21-40で敗れた。1996年ニューイングランド・ペイトリオッツに続いて地区2位となりプレイオフに出場したが、チーム創設2年目の新興チーム、ジャクソンビル・ジャガーズに敗れた。シーズン終了後、ケリーは引退した。トーマスもこの年エースRBの座を若いアントワン・スミスに明渡した。1997年、ケリーを失ったチームは6勝10敗に終わり、リービーコーチも引退した。

1998年から現在

1998年、チームには2人のQBが加わった。1人はジャクソンビル・ジャガーズの控えQBだったロブ・ジョンソン、もう1人はハイズマン賞を受賞しCFLのスター選手となっていたダグ・フルーティである。トレーニングキャンプやプレシーズンゲームではフルーティの方が良い成績を収めたが新ヘッドコーチのウェイド・フィリップスはジョンソンをエースQBとした。シーズン途中負傷したため、ダグ・フルーティが先発QBとなった。この年チームはプレーオフに進出しドルフィンズとの試合ではエリック・モールズがレシーブで240ヤード獲得のプレーオフにおけるチーム記録を作ったが敗れた。

1999年、11勝5敗だったが、インディアナポリス・コルツに続く地区2位となりプレーオフに出場、この年10勝をあげたフルーティに代えてヘッドコーチは先発QBにジョンソンを起用したがテネシー・タイタンズに敗れた。この試合ビルズは残り16秒で41ヤードのFGを決めて16-15とリードしたが直後のキックオフされたボールをラテラルパスされるなどしてリターンタッチダウンをあげられて敗戦した。この試合終了後チームのスペシャルコーチを13年間続けていたブルース・ディヘイブンは解任された。 テンプレート:Main

2000年、サーマン・トーマス、ブルース・スミス、アンドレ・リードが全て契約を打ち切られチームは8勝8敗だった。

2001年、長く続いたジョンソンとフルーティの先発QB争いがジョン・バトラーゼネラルマネージャーが退団しサンディエゴ・チャージャーズに加入後、フルーティが引き抜かれて終止符を迎えた。フルーティはビルズで31試合に先発し21勝10敗だった。またフィリップスヘッドコーチも退団しグレッグ・ウィリアムスが後任となった。バトラーの後任には1990年代にピッツバーグ・スティーラーズの再建に力を尽くしたトム・ドナヒューが就任した[6][7]アントワン・スミスはペイトリオッツに移籍してチームのスーパーボウル制覇に貢献した。この年、ロブ・ジョンソンが負傷し、アレックス・ヴァンペルトが代わりに先発したが3勝13敗に終わった。アンドレ・リードはこの年現役を引退した[7]

2002年4月、ペイトリオッツで先発QBをトム・ブレイディに奪われたドリュー・ブレッドソーを翌年のドラフト1巡目指名権と引き替えに獲得した[8]。またユニフォームを18年ぶりに新しいデザインに変更している[9]。この年の成績は8勝8敗と持ち直したが他チームが全て9勝7敗だったため地区最下位に終わった。

2003年、チームにはシンシナティ・ベンガルズヘッドコーチだったディック・ルボーがアシスタントコーチとして加入した[10]。開幕戦でスーパーボウルをこの年制するペイトリオッツを31-0で破ったが最終的に6勝10敗に終わった。3シーズンチームをプレーオフに導けなかったウィリアムスヘッドコーチは解任されて[11]2004年からはマイク・ムラーキーがヘッドコーチに就任することとなった[12]

2004年、チームは開幕から4連敗し平均13得点しかあげられなかった。同じく開幕4連敗していたドルフィンズに勝利し、続く9試合で7勝をあげてプレーオフ争いをしたが最終週に敗れてプレーオフ出場を逃した。シーズン終了後、チームはブレッドソーを解雇した。

2005年、開幕からJ・P・ロスマンを先発QBに起用したが1勝3敗になったところでケリー・ホルコムが先発QBに昇格した。第10週のカンザスシティ・チーフス戦でホルコムが負傷するとロスマンがリリーフしその試合に勝ち先発の座に戻ったがその後数試合の敗戦を経てホルコムが起用された。第13週のマイアミ・ドルフィンズ戦では21-0, 23-3とリードしながら第4Qに21点失点し23-24で敗れた。このシーズンは5勝11敗に終わりマイク・ムラーキーヘッドコーチ、トム・ドナヒューGMを解任[13]、ヘッドコーチにディック・ジャーロン、GMにマーブ・リービーを迎えた。

2006年、J・P・ロスマンが先発QBとして全試合に出場7勝9敗で終えた。

ファイル:Trent Edwards.jpg
パスを投げるトレント・エドワーズ

2007年、新人QBのトレント・エドワーズがシーズン序盤に先発の座をロスマンから奪い、ドラフト1巡指名のマーショーン・リンチも活躍したが7勝9敗で終え、シーズン終了後マーブ・リービーは退任を表明した。

2008年、チームはホームゲームを1試合カナダのトロントにあるロジャース・センターで開催した[14]

2009年にはテレル・オーウェンスを獲得したが開幕前にターク・ショナートオフェンスコーディネーターを解任した[15]チーム成績は低迷しジャーロンヘッドコーチはシーズン中に解任[4]、ディフェンスコーディネーターのペリー・フェウェルが暫定ヘッドコーチとなった[16]。チームは6勝10敗で地区最下位に終わり9インターセプトをあげてプロボウルに選ばれたジェイラス・バードだけが明るいニュースであった。2009年の最終週からGMに就任したバディ・ニックスはテレル・オーウェンスをカット、2010年1月、チームは新ヘッドコーチに元ダラス・カウボーイズヘッドコーチのチャン・ゲイリー就任を発表した[17]

2010年は開幕から苦しみ、連敗中に開幕から先発QBを務めていたトレント・エドワーズを解雇したが[18]8連敗を喫し、11月14日のデトロイト・ライオンズ戦で初勝利をあげた[3]。また11月3日にはサンディエゴ・チャージャーズから放出されたショーン・メリマンを獲得している[19]

2011年、チームは開幕から好調で第3週では21点差から逆転勝利し、8年ぶりにニューイングランド・ペイトリオッツを破るなど開幕3連勝を果たし[20]、エースQBのライアン・フィッツパトリックは契約延長を勝ち取った[21]。5勝2敗と好スタートを切ったが、その後エースRBのフレッド・ジャクソンなど[22]けが人が続出、連敗を続けプレーオフを12年連続で逃した[23]。第16週のデンバー・ブロンコス戦でティム・ティーボウから4インターセプトを奪うなど、40-14で勝利し連敗を7で止めた[24]。この年は6勝10敗でシーズンを終えた。

2012年、2月21日、恒例としていたトロントでのプレシーズンゲーム開催の中止を決定した[25]。3月にヒューストン・テキサンズからフリーエージェントとなったマリオ・ウィリアムズを6年9600万ドルで獲得した[26]。12月にラルフ・ウィルソン・スタジアムとのリース契約を10年延長した[27]。6勝10敗で終わり、シーズン終了後、チャン・ゲイリーヘッドコーチは解任された[28]。2013年1月、シラキュース大学のヘッドコーチ、ダグ・マローンが新ヘッドコーチに就任した[29]

2014年3月5日、トロントでのレギュラーシーズンの試合を中止することを発表した[30]。5万4000人収容可能なロジャース・センターでの入場者数は2012年に4万770人と初めて5万人を割り、2013年は3万8969人にとどまっていた[31]。3月25日、ラルフ・ウィルソンオーナーが95歳で死去した[32]。メアリー・ウィルソン夫人がチームが売却されるまでのオーナーとなった[33]。世界的な富豪のドナルド・トランプがチームを購入しようとしているグループに接触したことを明らかにしている[34]

成績

レギュラーシーズン

AFC東地区(4地区制)

テンプレート:AFC東地区成績

AFC東地区(3地区制)

地区優勝 2位 3位 4位 5位
チーム チーム チーム チーム チーム
2001 NE(2v) 11 5 0 MIA(4w) 11 5 0 NYJ(6w) 10 6 0 IND 6 10 0 BUF 3 13 0
2000 MIA(3d) 11 5 0 IND(6w) 10 6 0 NYJ 9 7 0 BUF 8 8 0 NE 5 11 0
1999 IND(2d) 13 3 0 BUF(5w) 11 5 0 MIA(6d) 9 7 0 NYJ 8 8 0 NE 8 8 0
1998 NYJ(2c) 12 4 0 MIA(4d) 10 6 0 BUF(5w) 10 6 0 NE(6w) 9 7 0 IND 3 13 0
1997 NE(3d) 10 6 0 MIA(6w) 9 7 0 NYJ 9 7 0 BUF 6 10 0 IND 3 13 0
1996 NE(2s) 11 5 0 BUF(4w) 10 6 0 IND(6w) 9 7 0 MIA 8 8 0 NYJ 1 15 0
1995 BUF(3d) 10 6 0 IND(5c) 9 7 0 MIA(6w) 9 7 0 NE 6 10 0 NYJ 3 13 0
1994 MIA(3d) 10 6 0 NE(5w) 10 6 0 IND 8 8 0 BUF 7 9 0 NYJ 6 10 0
1993 BUF(1s) 12 4 0 MIA 9 7 0 NYJ 8 8 0 NE 5 11 0 IND 4 12 0
1992 MIA(2c) 11 5 0 BUF(4s) 11 5 0 IND 9 7 0 NYJ 4 12 0 NE 2 14 0
1991 BUF(1s) 13 3 0 NYJ(6w) 8 8 0 MIA 8 8 0 NE 6 10 0 IND 1 15 0
1990 BUF(1s) 13 3 0 MIA(4d) 12 4 0 IND 7 9 0 NYJ 6 10 0 NE 1 15 0
1989 BUF(3d) 9 7 0 IND 8 8 0 MIA 8 8 0 NE 5 11 0 NYJ 4 12 0
1988 BUF(2c) 12 4 0 IND 9 7 0 NE 9 7 0 NYJ 8 7 1 MIA 6 10 0
1987 IND(3d) 9 6 0 NE 8 7 0 MIA 8 7 0 BUF 7 8 0 NYJ 6 9 0
1986 NE(3d) 11 5 0 NYJ(4d) 10 6 0 MIA 8 8 0 BUF 4 12 0 IND 3 13 0
1985 MIA(2c) 12 4 0 NYJ(4w) 11 5 0 NE(5s) 11 5 0 IND 5 11 0 BUF 2 14 0
1984 MIA(1s) 14 2 0 NE 9 7 0 NYJ 7 9 0 IND 4 12 0 BUF 2 14 0
1983 MIA(2d) 12 4 0 NE 8 8 0 BUF 8 8 0 BAL 7 9 0 NYJ 7 9 0
1982 MIA(2s) 7 2 0 NYJ(6c) 6 3 0 NE(7w) 5 4 0 BUF 4 5 0 BAL 0 8 1
1981 MIA(2d) 11 4 1 NYJ(4w) 10 5 1 BUF(5d) 10 6 0 BAL 2 14 0 NE 2 14 0
1980 BUF(3d) 11 5 0 NE 10 6 0 MIA 8 8 0 BAL 7 9 0 NYJ 4 12 0
1979 MIA(3d) 10 6 0 NE 9 7 0 NYJ 8 8 0 BUF 7 9 0 BAL 5 11 0
1978 NE(2d) 11 5 0 MIA(4w) 11 5 0 NYJ 8 8 0 BUF 5 11 0 BAL 5 11 0
1977 BAL(2d) 10 4 0 MIA 10 4 0 NE 9 5 0 BUF 3 11 0 NYJ 3 11 0
1976 BAL(2d) 11 3 0 NE(4d) 11 3 0 MIA 6 8 0 NYJ 3 11 0 BUF 2 12 0
1975 BAL(3d) 10 4 0 MIA 10 4 0 BUF 8 6 0 NYJ 3 11 0 NE 3 11 0
1974 MIA(d) 11 3 0 BUF(d) 9 5 0 NE 7 7 0 NYJ 7 7 0 BAL 2 12 0
1973 MIA(v) 12 2 0 BUF 9 5 0 NE 5 9 0 NYJ 4 10 0 BAL 4 10 0
1972 MIA(v) 14 0 0 NYJ 7 7 0 BAL 5 9 0 BUF 4 9 1 NE 3 11 0
1971 MIA(s) 10 3 1 BAL(c) 10 4 0 NE 6 8 0 NYJ 6 8 0 BUF 1 13 0
1970 BAL(v) 11 2 1 MIA(d) 10 4 0 NYJ 4 10 0 BUF 3 10 1 BOS 2 12 0

AFL東地区

地区優勝 2位 3位 4位 5位
チーム チーム チーム チーム チーム
1969 NY(d) 10 4 0 HOU(d) 6 6 2 BOS 4 10 0 BUF 4 10 0 MIA 3 10 1
1968 NY(V) 11 3 0 HOU 7 7 0 MIA 5 8 1 BOS 4 10 0 BUF 1 12 1
1967 HOU(a) 9 4 1 NY 8 5 1 BUF 4 10 0 MIA 4 10 0 BOS 3 10 1
1966 BUF(a) 9 4 1 BOS 8 4 2 NY 6 6 2 HOU 3 11 0 MIA 3 11 0
1965 BUF(a) 10 3 1 NY 5 8 1 BOS 4 8 2 HOU 4 10 0
1964 BUF(v) 12 2 0 BOS 10 3 1 NY 5 8 1 HOU 4 10 0
1963 BOS(a) 7 6 1 BUF(d) 7 6 1 HOU 6 8 0 NY 5 8 1
1962 HOU(a) 11 3 0 BOS 9 4 1 BUF 7 6 1 NY 5 9 0
1961 HOU(v) 10 3 1 BOS 9 4 1 NY 7 7 0 BUF 6 8 0
1960 HOU(v) 10 4 0 NY 7 7 0 BUF 5 8 1 BOS 5 9 0

プレイオフ

テンプレート:Start NFL SBS |- align="center" |1963 || 7 || 6 || 1 || AFL東地区2位||align="left"|AFL東地区プレイオフ敗退 8-26 (ボストン・ペイトリオッツ) |- align="center" |1964 || 12 || 2 || 0 || AFL東地区優勝||align="left"|AFLチャンピオンシップ優勝 20-7 (サンディエゴ・チャージャーズ) |- align="center" |1965 || 10 || 3 || 1 || AFL東地区優勝||align="left"|AFLチャンピオンシップ優勝 23-0 (サンディエゴ・チャージャーズ) |- align="center" |1966 || 9 || 4 || 1 || AFL東地区優勝||align="left"|AFLチャンピオンシップ敗退 7-31 (カンザスシティ・チーフス) |- align="center" |1974 || 9 || 5 || 0 || AFC東地区2位||align="left"|ディビジョナル・プレイオフ敗退 14-32 (ピッツバーグ・スティーラーズ) |- align="center" |1980 || 11 || 5 || 0 || AFC東地区優勝||align="left"|ディビジョナル・プレイオフ敗退 14-20 (サンディエゴ・チャージャーズ) |- align="center" |1981 || 10 || 6 || 0 || AFC東地区3位||align="left"|ワイルドカード勝利 31-27 (ニューヨーク・ジェッツ
ディビジョナル・プレイオフ敗退 21-28 (シンシナティ・ベンガルズ) |- align="center" |1988 || 12 || 4 || 0 || AFC東地区優勝||align="left"|ディビジョナル・プレイオフ勝利 17-10 (ヒューストン・オイラーズ
カンファレンス・チャンピオンシップ敗退 10-21 (シンシナティ・ベンガルズ) |- align="center" |1989 || 9 || 7 || 0 || AFC東地区優勝||align="left"|ディビジョナル・プレイオフ敗退 30-34 (クリーブランド・ブラウンズ) |- align="center" |1990 || 13 || 3 || 0 || AFC東地区優勝||align="left"|ディビジョナル・プレイオフ勝利 44-34 (マイアミ・ドルフィンズ
カンファレンス・チャンピオンシップ勝利 51-3 (ロサンゼルス・レイダーズ
第25回スーパーボウル敗退 19-20 (ニューヨーク・ジャイアンツ) |- align="center" |1991 || 13 || 3 || 0 || AFC東地区優勝||align="left"|ディビジョナル・プレイオフ勝利 37-14 (カンザスシティ・チーフス
カンファレンス・チャンピオンシップ勝利 10-7 (デンバー・ブロンコス
第26回スーパーボウル敗退 24-37 (ワシントン・レッドスキンズ) |- align="center" |1992 || 11 || 5 || 0 || AFC東地区2位||align="left"|ワイルドカード勝利 41-38 (ヒューストン・オイラーズ
ディビジョナル・プレイオフ勝利 24-3 (ピッツバーグ・スティーラーズ
カンファレンス・チャンピオンシップ勝利 29-10 (マイアミ・ドルフィンズ
第27回スーパーボウル敗退 17-52 (ダラス・カウボーイズ) |- align="center" |1993 || 12 || 4 || 0 || AFC東地区優勝||align="left"|ディビジョナル・プレイオフ勝利 29-23 (ロサンゼルス・レイダーズ)
カンファレンス・チャンピオンシップ勝利 30-13 (カンザスシティ・チーフス)
第28回スーパーボウル敗退 13-30 (ダラス・カウボーイズ) |- align="center" |1995 || 10 || 6 || 0 || AFC東地区優勝||align="left"|ワイルドカード勝利 37-22 (マイアミ・ドルフィンズ)
ディビジョナル・プレイオフ敗退 21-40 (ピッツバーグ・スティーラーズ) |- align="center" |1996 || 10 || 6 || 0 || AFC東地区2位||align="left"|ワイルドカード敗退 27-30 (ジャクソンビル・ジャガーズ) |- align="center" |1998 || 10 || 6 || 0 || AFC東地区3位||align="left"|ワイルドカード敗退 17-24 (マイアミ・ドルフィンズ) |- align="center" |1999 || 11 || 5 || 0 || AFC東地区2位||align="left"|ワイルドカード敗退 16-23 (テネシー・タイタンズ)

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殿堂入り

永久欠番

歴代ヘッドコーチ

その他

  • AFCで4年連続チャンピオンとなった唯一のチームである。
  • スーパーボウルではビルズの4連敗を含めて第19回から第31回まで13年連続AFCのチームは敗れている。
  • スペシャルチームのスティーブ・タスカーは7回プロボウルに選ばれて1993年にはプロボウルのMVPを受賞した。

脚注

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外部リンク

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  1. 1988年アメリカ合衆国大統領選挙では候補者争い、1996年アメリカ合衆国大統領選挙ではボブ・ドールの副大統領候補となった。
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  16. 来季のビルズ新指揮官、大物就任の可能性は? NFL JAPAN 2009年11月21日
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