中央林間
テンプレート:出典の明記 テンプレート:Pathnav 中央林間(ちゅうおうりんかん)は、神奈川県大和市にある地名。一丁目から六丁目まである。郵便番号は242-0007。
地理
大和市北部に位置する。東は下鶴間、西は中央林間西、南は南林間と林間、北は相模原市東林間に接する。小田急江ノ島線と東急田園都市線の中央林間駅を中心とした地域である。
地価
住宅地の地価は、2014年(平成26年)1月1日の公示地価によれば、中央林間3-15-20の地点で24万7000円/m2となっている。大和市内で最も地価が高い。[1]
歴史
林間都市計画
大正末までは、この地域は鶴間の一部であった。1929年(昭和4年)4月に小田急江ノ島線が開通すると同時に、小田原急行鉄道(現・小田急電鉄)により開発が始められることが決定した。この開発計画が、「林間都市計画」である。林間という名の由来は、この地域が雑木林であったことによる。林間都市には三つの駅が設置されることとなり、このうちの一つが中央林間都市駅(他は南林間都市駅と東林間都市駅)で、当計画の中心地であった。当時の計画図によると、中央林間駅をはさんで放射線状に道を伸ばし、松竹の撮影所や相撲力士養成所を誘致し、さらには野球グラウンドなども建設する「スポーツ都市」として計画された。
小田急は1929年から1931年(昭和6年)にかけて林間都市の分譲を始めたが、開発は思うようにはいかなかった。原因として、都心から遠すぎたこと、分譲価格が高すぎたことなどが挙げられる。1941年(昭和16年)に太平洋戦争の勃発により計画は事実上中止され、駅名から「都市」が除かれた。中央林間の地名はこの駅名に由来する。
林間都市から田園都市へ
小田急による林間都市計画は挫折した。しかし、1984年(昭和59年)4月9日に東急田園都市線が乗り入れ、中央林間は、東急多摩田園都市計画域に編入された。田園都市となってから開発は急速に進み、現在に至る。
施設
- 公園
- 多胡記念公園
- 緑野青空子ども広場
- 商業
- 病院
- みどり野リハビリテーション病院
- 大和青洲病院
- 中央林間病院
交通
鉄道
- 小田急江ノ島線・東急田園都市線 中央林間駅
バス
道路
- 神奈川県道50号座間大和線(座間街道)
出典
- 東京ふしぎ探検隊 小田急に「林間」駅なぜ多い 夢と消えた遷都構想 - 日本経済新聞 2013年4月5日