岩田祐吉
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
2014年1月12日 (日) 20:46時点における60.42.97.200 (トーク)による版
テンプレート:ActorActress 岩田祐吉(いわたゆうきち、1887年3月23日 - 1980年1月18日)は、明治・大正・昭和期の日本の俳優。サイレント映画時代の美男子スターである。
来歴・人物
岐阜県大垣市の呉服屋の息子として生まれるが、中学卒業時に生家の家業は倒産する。単身中国にわたるが、志敗れて2年後に帰国。藤沢浅次郎が設立した東京俳優学校に入学、1911年の卒業公演『廃馬』の舞台に田中栄三と共に舞台に立った。卒業後、新派の大御所だった河合武雄の一門に入り、1913年河合が設立した「公衆劇団」に参加し、花柳章太郎と前後して新派劇の幹部に列せられた。また、1915年には武田正憲らが旗揚げした「新日本劇」に参加した。
1920年、松竹キネマ創立と同時に入社し(俳優学校の同期だった諸口十九や勝見庸太郎も入社)、村田実監督の『奉仕の薔薇』で映画デビューした。国木田独歩の原作を伊藤大輔が映画化した『酒中日記』で広く認められ、その後、『船頭小唄』(池田義信監督)などで粟島すみ子と共演、川田芳子・諸口十九と並ぶ松竹蒲田のドル箱コンビとして人気を得、初期の松竹蒲田映画を代表するスターとして活躍した。また、『永遠の心』(佐々木恒次郎監督)は、ドイツにも紹介され、その演技力は高く評価された。
そのニヒルな風貌と確かな演技力で知られ、幅広い役柄をこなした。
1938年以降は新興キネマの映画にも出演したが、1942年公開の『春遠からじ』以降の映画出演はない。その後は鎌倉で妻と共に暮らしていたという。1979年に山路ふみ子映画功労賞を受賞した。
出演作品
映画
- 新生(1920年)
- 奉仕の薔薇(1921年)
- 虞美人草(1921年)
- 電工と其妻(1921年)
- 酒中日記(1921年)
- 生さぬ仲(1921年)
- 不如婦(1922年)
- 祇園夜話(1922年)
- 傑作集粋「金色夜叉」(明治文壇海岸の悲劇)(1922年)
- 船頭小唄(1923年)
- 水藻の花(1923年)
- 嬰児殺し(1924年)
- 無花果(1924年)
- 黒川博士(1924年)
- 詩人と運動家(1924年)
- 乃木大将伝(1925年)
- 広瀬中佐(1926年)
- 父帰る(1927年)
- 永遠の心(1928年)
- 民族の叫び(1928年)
- 今年竹(1929年)
- レヴューの姉妹(1930年)
- 真理の春(1931年)
- 金色夜叉(1932年)
- 母を恋わずや(1934年)
- 隣の八重ちゃん(1934年)
- 虞美人草(1935年)
- 静御前(1938年)