アッピウス・クラウディウス・カエクス
アッピウス・クラウディウス・カエクス(テンプレート:Lang-la、 紀元前340年 - 紀元前273年)は、共和政ローマ期の政治家。パトリキであるクラウディウス氏族の出身。二つ名の「カエクス」は「盲目」の意である。
略歴
アッピウスは、第二次サムニウム戦争中の紀元前312年にケンソルに就任した。彼は下層階級の支持を得るために、いくつかの政策を打ち出した。まず、解放奴隷の息子をローマ市民とし、彼らが元老院に入れるようにした。さらに、土地を所有しないものにも各種の役職を選出するための投票権を与えた。これらの政策は下層階級の不満を抑制し、戦争遂行のために必要な税金や労役を、彼らに負担させることが可能になった。また、彼は戦争中にラティウムやカンパニアへコロニーを創設し、植民を推進した。これはサムニウムやエトルリアに対する防衛線の強化につながった。
アッピウスの業績としては、ローマ帝国における全ての街道の模範であり「街道の女王」と称された、アッピア街道の敷設が挙げられる。また、彼はローマ初の上水道であるアッピア水道をも建設し、「インフラの父」と呼ばれるローマ人の中でも特筆されるべき偉大な人物である。
アッピウスは、紀元前307年と紀元前296年に執政官を務め、また、紀元前292年と紀元前285年に独裁官となった。晩年には、長年の労苦から盲目となっており、このため「カエクス」(ラテン語で盲目の意)という二つ名がつけられた。
紀元前280年より始まったエペイロス王ピュロスとの戦争で苦戦していたローマは二度の会戦で大敗を喫し、元老院はピュロスの提示する講和条件の受諾に傾いた。そこへ、既に引退していた盲目のアッピウスが久しぶりに登院し、並み居る議員達を叱り付けて、こう言ったという。
「ピュロスがイタリア半島からまず退去することが講和の大前提であり、庭先に踏み込んで居座っている者など交渉の相手にはなり得ない」
これが元老院の空気を変えたのだが、このエピソードはこの時期に留まらず、その後「講和は勝利した場合に行い、敗北した場合は結ばない」というローマの伝統になる。
なお、このエピソードはリウィウスの伝えるものであるが、信憑性は低いという指摘もある。