イゾンツォ川
テンプレート:Redirect テンプレート:Infobox 河川 イゾンツォ川(テンプレート:Lang-it) あるいは ソチャ川(テンプレート:Lang-sl)は、スロベニア西部からイタリア北東部にかけて流れ、アドリア海に注ぐ川である。
イゾンツォ川流域では歴史上多くの戦いが行われた(イゾンツォの戦い)。とくに第一次世界大戦中の1915年から1917年にかけて、イタリア戦線における激戦の舞台となったことでも知られる。
地理
上流側約2/3がスロベニア領内(96km)、下流側1/3がイタリア領内(43km)を流れる。
流路
ジュリア・アルプス山脈最高峰のトリグラウ山(2,864m)の西側、トレンタ谷テンプレート:Enlinkの標高876mの地点に源流がある。
流域には、上流よりボヴェツ(伊語:プレッツォ)、コバリード(伊語:カポレット)、トールミン、カナル、ノヴァ・ゴリツァ(スロベニア領)およびゴリツィア(イタリア領)などの都市がある。
モンファルコーネ郊外(行政上はスタランツァーノとグラードの境界)で、アドリア海に注ぐ。
歴史
1915年5月、「未回収のイタリア」の回収を目指してオーストリア=ハンガリー帝国に宣戦を布告したイタリア王国は、6月に当時オーストリア領であったイゾンツォ川流域に進攻した(第一次イゾンツォの戦い)。重要都市ゴリツィアの占領を目指したものであったが、戦線は膠着し、イゾンツォ戦線では前後12度にわたる会戦が繰り返された。12度目の会戦となる1917年10月のカポレットの戦いにおいて、ドイツ軍の援助を受けたオーストリア軍はイタリア軍を潰走させ、イゾンツォ川流域を完全に占領した。イタリアがこの地域を奪回するのは、1918年にオーストリアが休戦した後の事である。一連の戦いで、100万人以上のイタリア軍とオーストリア軍兵士が死んだ。
カポレットの戦いは、アーネスト・ヘミングウェイの小説『武器よさらば』でも描かれている。スロベニアのコバリードにはこの戦いとヘミングウェイを展示のテーマとした博物館がある。
環境
その水の色は「エメラルドの美しさ」と謳われることもある。
生物
イゾンツォ川上流部には、マスの一種 Salmo trutta marmoratus (マーブルトラウトとも呼ばれる)が生息することでも知られている。この魚は、アドリア海に注ぐ河川の固有種であるが、二回の世界大戦の戦間期に土着でないマスが流入したため、今では危機に瀕している。
外部リンク
- イゾンツォ川のマス(英語)
- 第一次大戦のイゾンツォの戦い(英語)
- 第一次大戦の戦場の地図(英語)