池田政弼
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池田 政弼(いけだ まさすけ、寛保2年7月27日(1742年8月27日) - 安永5年7月29日(1776年9月11日))は、備中生坂藩の第4代藩主。
第2代藩主・池田政晴の三男。正室は松平直純の娘・利佐姫(真明院)。子は池田政峰(長男)、池田政房(次男)、娘(竹中重寛正室)、養子に池田政良、秀次郎[1]。官位は従五位下。丹波守。幼名は永次郎。
明和4年(1767年)、兄で先代藩主の政員が死去したため、その養嗣子となって跡を継いだ。
安永5年(1776年)7月29日、35歳で死去した。法名は持光院殿観海帷聞大居士。前年に生まれたばかりの正室との息子の政房が跡を継いだが、翌安永6年(1777年)に夭逝したため、宗家の岡山藩主池田治政の庶長子・鉄三郎が密かに身代わりに立てられて政房を名乗り、そののち政恭と名を改めた[1]。
脚注